なぜここに古墳が?その理由がわかります!  
 JR南武線の矢川駅から南に徒歩15分ほど。動画冒頭にあるように分かりやすいところにあります。区画整理がなされたところに住宅が並び、ところどころに田畑が残っています。区画整理事業がなされる前は、荒地だったことが容易に想像できます。 区画整理事業が行われる以前から、四軒在家古墳群のことは知られていたようです。平地にする事業に際して発掘調査が行われています。墳丘の形は径10mから25m ほどの円墳で埋葬施設は川原石を用いた横穴式石室でした。確認された10基のうち、残りのよい1号墳だけ、今回紹介している公園に保存されています。ただ、1㎞先からの移設のように、遠くからではなく、数十メートルの距離のようです。各古墳からは刀剣類、玉類が出土していますから、それなりの地位にあった地方豪族の墓であったことは間違いありません。
 もっとも横穴式石室が完存する古墳を見慣れている方々にとっては、なんてショボいと思われるかもしれません。「だから東国は遅れていたんだ」という声も聞こえそうです。東国といっても広く、ここ武蔵ではそうかもしれませんが、現在の群馬、栃木両県にあたる、上野、下野では、このブログでも数多く紹介していますが、他の地域と肩を並べる横穴式石室が数多く残されています。  ところで、この四軒在家古墳の南をみると動画の最後でおわかりのように、緑の帯が見えます。青柳崖線といって多摩川が武蔵野台地を削ってできた段丘崖なんだそうです。近くに行くと、たしかに崖線の向こうは低くなっていて、現状3mほどの崖を降りると清水が流れています。古墳の被葬者達は、日々この光景を見ていたはずで、そのことを思うと、この古墳の見方がまた変わってくるのではないでしょうか(撮影2025年11月初旬)。 PNG 四軒在家古墳石室イメージ図
PNG 四軒在家と青柳崖線3D所在地マップ
PNG 四軒在家古墳(広域)所在地マップ
PNG 四軒在家1号墳と青柳崖線所在地マップ
PNG 四軒在家1号墳と青柳崖線所在地マップ
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