開口部周りの川原石積みと19mの墓道が見どころ  
 3C後半から8C初めまでの古墳時代には、墳丘のある前方後円墳、円墳、方墳やそれらの変形である上円下方墳、それに弥生時代から続く方形周溝墓等数多くの古墳が造られています。共通するのは墳丘が人為的に造られている点です。首長等限られた人物だけに許された古墳築造ですが、格でいえば、前方後円墳、円墳、方墳の順であることがわかっています。 他方、本ブログではほとんど取り上げていない、崖などの斜面に埋葬用のスペースを削って作られた横穴墓が、古墳時代後期、6C後半以降盛んに造られるようになります。先行して5C後半に九州で誕生しているようですが、古墳が中間層以下でも造ることができるようになった時期にあたります。中には、今回の久保ケ谷戸横穴墓のように首長クラスと思われる豪華な副葬品を伴う横穴墓もあります。前庭部から須恵器の大窯とフラスコ形瓶、直刀、六窓鍔、鉄鏃が出土、墓室からは人骨片と刀子2点が出土しています。  
 その久保ケ谷戸横穴墓、町田市の三ツ目山公園に移築保存されているというので、事前に、草刈りの時期を確認してから訪問してきました。このブログでも何度か書いたように、山の中に点在する古墳訪問は晩秋から冬。公園などに整備されて保存されている古墳は、手入れが終わった時期がお勧めです。整備されているはずの古墳が背丈もある雑草に覆われている姿を見てガッカリすることも多いからです。 JR、京王線橋本駅から神奈中バス、神奈中多摩車庫行きで、小山ヶ丘小学校下車。目の前に、目指す横穴墓のある三ツ目山公園が広がっていました。心躍ります。しばらく歩くとまさに、草刈りが終わった直後の移築保存された姿が確認できました。
 遺跡の正式名称は多摩ニュータウンNo.313遺跡だそうです。風情がないと思ったら、久保ヶ谷戸横穴墓という通常使われている名称を保存運動に尽力された地元の方々がつけられたそうです。多摩ニュータウン造成中に発見されたこの横穴墓、元は現在の場所より250m(キャプションでは200mとしてしまいました)西にあったそうです。それにしても、地元の皆さんのおかげで、その横穴墓の一部だけでも残すことができたことは嬉しいことです。とくに、終末期の横穴石室によくみられる墓道は、開口部から扇形に広がっているのが一般的ですが、ここはほぼ直線、しかも19mと長く、羨門近くは川原石を丁寧に積んでいてびっくりです。羨門の先には16㎡、畳9畳分ほどの墓室があったそうです。これは広い。残念ながら、墓室は移転保存されなかったようです(撮影2025年10月初旬)。 PNG 久保ヶ谷戸横穴墓(町田市)
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