熊野神社古墳だけではない東京多摩川上流域の古墳3基
 河川沿いに多くの古墳が築かれてきたことはよく知られています。見せる古墳の大型前方後円墳の場合は特にそうです。それだけではありません。当時の河川は有力な交通路、そこを仕切っていた有力者の古墳が集まっています。多摩川についていえば、下流域の現在の東急東横線の多摩川駅近くに、古墳時代の前期から中期にかけて107mの大型前方後円墳、亀甲山古墳を含む前方後円墳が築かれ、中期には数多くの武器、武具が副葬されていた径68mの大型円墳、野毛大塚古墳がよく知られています。ところが多摩川上流域ではこの時期、ほとんど古墳は築かれておらず、後期以降を待たねばなりませんでした。弥生時代の遺跡では八王子市、日野市、青梅市に大規模集落が確認されているので、三鷹市、府中市でも、人が住んでいなかったわけではない筈です。  
 その意味で、この地では古墳時代の最後の段階で花開くといってよいでしょうか。上円下方墳の熊野神社古墳(クリック)や、今回紹介する同じタイプの古墳、天文台構内古墳や、高倉塚古墳、御嶽塚古墳等を含む群集墳が築かれます。後に、これらの古墳近くに武蔵国府が置かれることを考えれば、この地は物資、人々の行きかう交通の要衝に時代とともに重要さを増したということになるのではないでしょうか。 動画で最初に紹介しているのは、近隣の熊野神社古墳と同じ上円下方墳の天文台構内古墳です。調布駅から小金井駅南口行のバスで天文台前下車。受付で手続きをとって見学。広々とした緑濃い構内に建物がいくつも建っていてさすが研究施設だなと思いながら、古墳のそばにある第一赤道儀室に向かいます。この三鷹の天文台で最古の観測用建物だそうで1921年の建築。100年以上前の建物の階段を上り、テラスを右に歩くと墳丘が見えました。残念ながら普通の円墳にしか見えません。発掘調査の後、埋め戻されてしまったからです。一辺27mの方墳の上に、径18mの円墳が載っていたそうです。そこに、羨道、前室、後室からなる複室構造の横穴式石室が築かれていたそうで、長さは7mとそれほど大きくはありません。周囲には幅7mの濠が廻っています。方墳ではなく円墳にしか見えない墳丘を見ながら、復元された熊野神社古墳(クリック)を思い出し、この古墳の横穴式石室を想像してみました。
 その後、調布駅経由で分倍河原駅に移動。近くの府中市指定史跡の高倉塚古墳(高倉26号墳)を見学。ところが、駅から近いはずの古墳がなかなか見つけられずヤキモキしました。案外道が狭く、そこに住宅が立ち並んでいるので、公園として整備されていても、気が付かないのです。残念ながら、この古墳も墳丘が残されているだけです。元は28基からなる群集墳の一基です。3号墳の周濠からは6C前半の土器が出土。他方、太刀、鉄鏃、玉、埴輪片などが4基から出土していますが、墳丘が残るのはこの4号墳他3基だそうです。緩やかな坂状の周囲を見回しても目に入るのは住宅ばかり。この下に古墳は眠っているのだろうなと想像を巡らせました。  
 最後に訪ねたのは、隣の西府駅前に、ここも公園として残されている御嶽塚古墳です。古墳巡りを重ねた人なら別ですが、ここに遊具などあれば、ミニ遊園地の築山程度にしか見えません。径25mの円墳で府中市指定史跡です。高さは現状1.5mしかありません。古墳が築かれた後に埋葬施設を含め削られたとみられています。周濠からは6C前半の土師器が出土しているそうです。 この御嶽塚古墳(御嶽塚5号墳)は20基からなる御嶽塚古墳群の1基で、16号墳からは円筒埴輪が、10号墳の川原石でできた石室からは都内で4例目の圭頭太刀の柄頭(つつがしら)、5本の太刀などが出土しています。東京以外の方々は勿論、東京の方にも馴染みのない東京の古墳を今回は紹介しました(撮影2025年10月中旬)。 PNG 今回の古墳の位置関係(多摩川上流域の古墳)
PNG 御嶽塚、熊野神社、高倉塚所在地マップ
PNG 多摩川上流域開発と熊野神社古墳 広瀬用 草野作成
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