希少な上円下方墳!複室構造の石室も復元!  
 ここは古墳巡りをはじめて間もない2014年の10月に一度訪れています。東京の古墳ということで、何の知識もなく近いから訪ねたということだったと思います。変わった形の墳丘を上から見下ろしてみたいと、道路を挟んだ南側のマンションの管理人さんに許可をもらい、屋上に上がってみました。熊野神社の社殿の先にたしかに、はっきりとその形がみえてこれはラッキーと思いました。今回、再訪してリニューアル版を作成したのですが、残念なことに、その当時のデータは既になく、残っているのは、既にアップした当時の編集済み動画だけでした。それでも無理やり、はめこんでみました(今回もそのマンションを訪ねたのですが、管理人さんは休憩中で頼めませんでした)。  
 ところで、この古墳、上円下方墳という変わった形をしていますが3C半ばから8Cはじめの古墳時代の中でどのような意味をもっているのかは、よくわかりませんでした。その間に数多くの古墳が造られ、しかも、前方後円墳、円墳、方墳等墳丘の形は様々、埋葬施設自体も、木棺直葬、竪穴式石室、横穴式石室、横口式石槨などバラエティに富んでいます。その中での上円下方墳の熊野神社古墳の位置づけです。結論からいうと、大化の改新辺りから古墳の墳丘も埋葬施設も急速に小型化していくなかで、全国的には10例ほど(熊野神社古墳パンフレット、府中市)しかない古墳の形で、極めて特異です。畿内では奈良市の石のカラト古墳が有名ですが、墳丘規模はずっと小さく一辺13.8mの方形壇の上に径9.2mの円墳が乗っています(復元整備されています)。  
 終末期に入ると埋葬施設も、次第に小型化していく中で、熊野神社古墳は、全体で8.7m 以上の前室、後室、玄室の複室構造の横穴式石室をもっています。羨道前のハの字型の前庭部がついていますが、同じく終末期の群馬県前橋市の宝塔山古墳(クリック)にもみられます。玄室は平面側壁が膨らむ胴張りで、石積みは砂岩の切石で、石積みが崩れないように切組という積み方をしています。群馬県桐生市の中塚古墳(クリック)の石室でその典型例がみれます。この古墳も終末期に築かれたと考えられています。  
 このように見どころ満載ですが、今回の訪問でびっくりしたのは、石室が復元されていることでした。古墳のある熊野神社横にガイダンス施設があり、その中から入ることになりますが、これがなかなか良くできています。実際の石室でもままあることですが、天井が低く、頭をぶつけます。ガイダンス施設でヘルメットを借りましょう。  
 それにしても多摩川上流域の府中市。こんなところになぜ、方形部分32m四方(最下段)に径16m の円墳が乗る珍しい古墳が築かれたのか、不思議に思う人も多いのではないでしょうか。それだけ考えても、被葬者は権力者だったに違いありません。興味深いことに、7kmほど東に残る天文台構内古墳も上円下方墳だったことがわかっています。両者の関係も気になりますが、わずか2㎞東に、700年ごろに武蔵国府が置かれています。この地一帯が、当時、政治的にも極めて重要な地域であったことは間違いありません。前回は総武線西府駅から徒歩で現地に向かいましたが、今回は京王線を利用して府中駅から国立方面行のバスを利用しました。30分に一本はあり、乗車時間は7-8分です。しかも、古墳の目の前、西府2丁目に停まります。お勧めです(撮影2025年9月中旬)(2014年10月中旬)。 PNG 熊野神社古墳石室イメージ図(リニューアル版)
PNG熊野神社古墳と天文台構内古墳の位置関係
PNG 熊野神社古墳(狭い)所在地マップ
PNG熊野神社古墳と天文台構内古墳の位置関係
PNG 熊野神社古墳、武蔵国分寺、国府との関係図
PNG 熊野神社古墳と武蔵国府との関係図