終末期らしい巨石が圧倒の玄室に家形石棺が残る!
今回の小谷古墳、最後の第王墓といわれる6C後半に造られた長さ318mの前方後円墳、見瀬丸山古墳のある近鉄吉野線の岡寺駅を挟んで西1㎞ほどのところにある古墳です。墳形は方墳とも円墳ともいわれていますがハッキリしていません。規模は30m程度と考えられています。造られたのは古墳時代終末期7C初頭とされていますから、見瀬丸山古墳は既に造られていました。今では団地の高層住宅に遮られ難しいですが、小谷古墳から目視できるほどの距離です。 他方、小谷古墳がある貝吹山近辺の山裾には、調べてみると古墳だらけ。岡寺駅の次の駅の飛鳥駅周辺には、今回の小谷古墳と類似する岩屋山古墳(クリック)があり、寺崎白壁塚古墳(クリック)も造られています。小谷古墳ちかくにも未開口の小谷東古墳が築があります(行っていません)。
肝心の今回の小谷古墳ですが、近くまで住宅団地があり区画整理がきちんとなされている上、動画冒頭にあるように道標もしっかりしているので迷うことはありません。石垣構えの住宅が続く先の山裾に古墳はありました。景色は一変。田畑が広がる斜面の一角です。大きな白い説明板に並ぶ開口部の巨石がこちらを見下ろしているかのようでドキッとしました。古墳を歩いてだいぶ経ちますが、こうした光景は滅多におめにかかれません(兵庫県養父市の塚山古墳(クリック)も中腹に開口しています)。 残念ながら周囲は鉄柵で囲まれていて一回目の22年12月は外側からの見学。斜面に築かれているために足元は悪く鉄柵をぐるっと回るだけでも大変でした。しかし、土が流れた開口部の巨石ぶりからもその迫力は想像できました。
その後2025年3月に見学を橿原市役所に事前申請して石室内を見学しましたが期待以上でした。視覚効果でしょうか。平坦な前庭部を歩いて石室に入るのと違い、上った先に見える開口部に飲み込まれるようでした。そしてド真ん中に横たわるブランド品竜山石製の刳り抜き式家形石棺が目に入りました。蓋を斜めに開けたままの状態が盗掘者の当時の姿を想像させます。 肝心の石室。花崗岩の切石の巨石により構築され岩屋山古墳と同じ設計といわれています。そういわれてみると、玄室は2段に積まれた奥壁、側壁の上段は斜めになっていて岩屋山古墳と同じです。ただ、その完成度はだいぶ違います。丁寧さというか緻密さというか・・・。同じ設計に基づいているものの工人の技術力が違っていたということなのでしょうか。全く別物として見学した方がよいような気がしました。とはいえ、当時、これだけの巨石を用いた横穴式石室をもつ古墳を築くことができた人物は、皇族を含めた有力者だったことは間違いないでしょう。奈良県指定史跡(撮影、2022年12月初旬、2025年3月下旬)。



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今回の小谷古墳、最後の第王墓といわれる6C後半に造られた長さ318mの前方後円墳、見瀬丸山古墳のある近鉄吉野線の岡寺駅を挟んで西1㎞ほどのところにある古墳です。墳形は方墳とも円墳ともいわれていますがハッキリしていません。規模は30m程度と考えられています。造られたのは古墳時代終末期7C初頭とされていますから、見瀬丸山古墳は既に造られていました。今では団地の高層住宅に遮られ難しいですが、小谷古墳から目視できるほどの距離です。 他方、小谷古墳がある貝吹山近辺の山裾には、調べてみると古墳だらけ。岡寺駅の次の駅の飛鳥駅周辺には、今回の小谷古墳と類似する岩屋山古墳(クリック)があり、寺崎白壁塚古墳(クリック)も造られています。小谷古墳ちかくにも未開口の小谷東古墳が築があります(行っていません)。
肝心の今回の小谷古墳ですが、近くまで住宅団地があり区画整理がきちんとなされている上、動画冒頭にあるように道標もしっかりしているので迷うことはありません。石垣構えの住宅が続く先の山裾に古墳はありました。景色は一変。田畑が広がる斜面の一角です。大きな白い説明板に並ぶ開口部の巨石がこちらを見下ろしているかのようでドキッとしました。古墳を歩いてだいぶ経ちますが、こうした光景は滅多におめにかかれません(兵庫県養父市の塚山古墳(クリック)も中腹に開口しています)。 残念ながら周囲は鉄柵で囲まれていて一回目の22年12月は外側からの見学。斜面に築かれているために足元は悪く鉄柵をぐるっと回るだけでも大変でした。しかし、土が流れた開口部の巨石ぶりからもその迫力は想像できました。
その後2025年3月に見学を橿原市役所に事前申請して石室内を見学しましたが期待以上でした。視覚効果でしょうか。平坦な前庭部を歩いて石室に入るのと違い、上った先に見える開口部に飲み込まれるようでした。そしてド真ん中に横たわるブランド品竜山石製の刳り抜き式家形石棺が目に入りました。蓋を斜めに開けたままの状態が盗掘者の当時の姿を想像させます。 肝心の石室。花崗岩の切石の巨石により構築され岩屋山古墳と同じ設計といわれています。そういわれてみると、玄室は2段に積まれた奥壁、側壁の上段は斜めになっていて岩屋山古墳と同じです。ただ、その完成度はだいぶ違います。丁寧さというか緻密さというか・・・。同じ設計に基づいているものの工人の技術力が違っていたということなのでしょうか。全く別物として見学した方がよいような気がしました。とはいえ、当時、これだけの巨石を用いた横穴式石室をもつ古墳を築くことができた人物は、皇族を含めた有力者だったことは間違いないでしょう。奈良県指定史跡(撮影、2022年12月初旬、2025年3月下旬)。



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