整美という名に相応しい奥壁ですね!
最近、リニューアル統合版やリニューアル版を作成しながら、最初にアップした時とは違った印象を持つことが少なくないことに気が付きました。よく第一印象といいますが、何度も見返すことで、以前、見えなかったものが見えてくる、つまり第一印象とは少々異なる思いをもつのです。その意味でも、案外、このリニューアル統合版やリニューアル版の作成は自分にとり意味のあるものになっています。
さて、今回の万寿森古墳、てっきり入れないと思っていた石室でしたが事前に甲府市の文化財担当に申請したところ、開けて貰えました。加牟那塚古墳と同様です。二つの石室、いずれも長大で、なぜ、甲府の地に、びっくりするような大きな石室が築かれたのか不思議です。そう思っていたところ今回、山梨県のHPに遺跡トピックスNo.437,No.438に「万寿森古墳~2016年2月指定の県史跡」と題して詳細なレポートがあることに気が付きました。そこには現代の目線でみると甲府の地は交通の要所とはいえないかもしれませんが(これは私の見方)、古代には甲府は畿内と東国を結ぶ古代道路、東山道のルート上(古墳時代にも初期東山道のようなものがあったのでしょうね)にあったことと無関係ではないとの趣旨のことが書かれていました。とりわけ、この万寿森古墳石室が両袖式であること、石室の大きさに比べ小型の石材を用いていること等は、同種の石室をもつ東国(具体的には群馬県前橋市の王山古墳、正円寺古墳、いずれも埋め戻し)の影響を受けたものではないかとの指摘は興味深く感じました。
長さ14.2mもの石室を伴う円墳の築造には相当の労力を必要としたはずで、その調達ができた豪族は、この一帯を支配していた人物であることは容易に想像されます。交通の要所押さえることの重要さは今も昔も変わらないということでしょうか。最初にアップした際のブログはこちらです(クリック)




