赤穂市有年地区にはこうした古墳がいっぱい!
古墳時代後期から終末期(5C末から8C初め)にかけて、それまで限られた地区の有力者(首長)しか築くことができなかった古墳をその下の有力者クラスでも造れるようになりました。狭い墓域に多数の横穴石室を伴う円墳(一部方墳)が造られ、その数は、全国の16万基あまりの古墳の約9割を占めるそうです。被葬者は多くの場合、家族的つながりをもった人々といわれています。群集墳と呼ばれる現象が生じたのは、狭い地域にしか及んでいなかったヤマト王権の統制力(規制)が、より下位のクラスにまで及ぶようになったとの見方や、それとは反対に王権の統制力が緩み、経済的に豊かになった有力者が、その裁量で親類縁者の墓として造ったためと説明されています。
千種川と矢野川が交わる古代当時からの交通の要衝であった赤穂市有年地区では、塚山古墳群、惣計谷古墳群、今回の木虎谷古墳群等が造られています。勿論、群集墳のなかでもランクはあり、盟主墳といわれる木虎谷2号墳と今回の10号墳はスケールの大きさで明らかに2号墳(クリック)木虎谷2号墳が勝っていますし、7号墳となるとずっと規模が小さくなります。被葬者のランクが反映されていることは間違いありません。そうした観点から、山裾に広がる古墳群を歩くのもマニアックですが興味深いものです。それにしても、これらの石室を造ったのはどういった集団なのかが知りたいところです(撮影2021年2月18日)。

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