国道沿いに美しい姿を留める大型前方後円墳
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全国の古墳を歩いていると、墳丘が後世、農耕地や土木工事用の土取りで大きく改変されているものをしばしばみかけます。そして人々の信仰心の厚さもあって、後円部にお社があることもしばしばです。つまり、築造当時とほぼ変わらず(と推定される)残されている墳丘は数少ないのです。今回の、三ノ分目大塚山古墳は、墳丘が123mと、全国でも310基ほどしかない墳長100m以上にランクインし、しかも、現在では墳丘すぐ東側を国道が通るという状況にもかかわらず、墳丘は美しく保たれています(道路と反対の西側は多少の改変がみられる)。
城山(じょうやま)古墳群を見学ののち、小見川駅まで戻り、バスで大塚山古墳まで移動しましたが、バス停の目の前に現れた墳長123mの墳丘にびっくりしました。大して期待していなかったといったら古墳に失礼ですが、城山古墳群の墳頂にある大きく改変された前方後円墳(クリック)を見たあとだっただけに、いい意味でショックでした。国道の西側は住宅地なので、墳丘を遠くから眺めるというわけにはいきませんが、それでも墳丘自体を遮る建造物はなく、美しい姿を目にすることができます。 この古墳の被葬者が、かなりの地位にあったのではと考えられている理由は、後円部にたてられている3枚の板石です。いずれも、王墓クラスや、有力首長用に多く用いられた長持ち形石棺の一部で、この古墳の被葬者のものといわれています。東国では、このブログでもよく登場する群馬県太田市の太田天神山古墳(クリック)、お富士山古墳(クリック)、木更津市の高柳大塚古墳(クリック)に三ノ分目と大塚山古墳と4例しかありません。また、古墳時代に現在の霞が浦に隣接して存在した内海の香取海との関係でいえば、南側を三ノ分目大塚山の被葬者が、北側を茨城県石岡市の超大型の前方後円墳、舟塚山古墳(クリック)の被葬者が支配していたのではないかともいわれています。それにしても三ノ分目とは珍しい地名ですね。どうやら江戸時代の新田開発に伴う区画整理の関係のようです。江戸時代既に三ノ分目村と呼ばれていたようです。(撮影2020年1月17日)。


三ノ分目大塚山古墳基本情報
所在地 千葉県香取市三ノ分目
形状 前方後円墳 3段築成
規模 墳長 123m、後円部径68m 高さ9.5m、前方部幅62m 高さ7.5m
築造時期 5C央
出土品 円筒埴輪
史跡指定 香取市史跡指定
特記事項 茨城県石岡市の舟塚山古墳出土の埴輪と同じ形式の埴輪が出土しており両者ともに水上交通を仕切る豪族で親しい関係にあったのではないかといわれている。
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