古墳の被葬者が誰かは多くの場合わからないのに対して、今回の後期古墳は舒明天皇の父にあたる押坂彦人大兄皇子(おしさかひこひとおおえのおうじ)の墓ではないかと多くの人が指摘しています。舒明天皇の父ということは天智天皇、天武天皇、皇極天皇(斉明天皇)、孝徳天皇の祖父に当たり歴史上大変重要な人物ということになります。最後の巨大前方後円墳、墳長318m五条野丸山(見瀬丸山)古墳(クリックすれば飛べます)とほぼ同時代に築かれた牧野古墳は径60mと円墳としては全体的に古墳の規模が縮小していくなかではかなりの大きさではないでしょうか。しかも巨大といってよい横穴石室。それらの点からしても牧野古墳は相当な有力者が埋葬されていることがわかります。

 馬見丘陵に築かれた馬見古墳群はいくつか紹介をしましたが最も南に位置する

ナガレ山古墳

(クリックすれば直接飛べます)から東に1㎞ほどのところにあります。現在は新しく建設された道路沿いに公園として整備された場所に古墳は位置します。動画1に見るように鬱蒼とした樹木が古墳であることを忘れさせますがよく見ると段築のある円墳だということに気づかされます。段築二段目に南に開口した石室は普段は施錠されており一度目は柵越しの見学でした。ファインダーをのぞくとぼんやりですが奥壁の前に石棺がみえ思わずうなりました。これはまた来るしかない。動画2と3に見る石室内部は20165月に再訪した際に撮ったものです。残念ながら10mの羨道が光を遮っているためでしょうか。全体として暗くよく見えません。とはいえ墳長17.1m(五条野丸山古墳は28.4m)、天井まで4.5mもある石室の迫力は半端なものではありません。特に羨道が印象的でした。玄室中央のくり抜き式の家形石棺は損傷が激しい点が残念です。

 ところで押坂彦人皇子の墓とみられている理由の一つに平安時代の法令集、延喜式の記述があります。歴代天皇や皇族など陵墓の名称や位置その規模も書かれていますが押坂彦人大兄王子の墓は成相墓(なりあいぼ)となっているそうです。成相の場所は大和国広瀬。これが現在の高陵町あたりではないかとみられています。アクセスは近鉄高田駅から近鉄バス竹取公園行きで終点下車(20分ほど)。バス通りを北方向に直進し巣山古墳西の信号を左折し四つ目の信号(1㎞ほど)の右手が牧野古墳のある公園(撮影20151125日、2016524日)。