古墳を動画で見るサイト guami_38_36のblog

なんでも実際に見てみないと気が済まない私。古代史初学者として3世紀中頃から7世紀初頭にかけて東北から九州まで造られた5200基もの古墳の内、墳丘が残り実際に墳頂まで登れるものを訪ねはじめました。2011年秋のことです。既に先輩方が古墳のブログやHPを立ち上げられて今でも大いに刺激を受けています。ただ、権力者がなぜこれほど大きな構築物を造ったのかに興味がある私には、残念なことに大半の画像が静止画であるためにそのスケール感が伝わってきませんでした。偶然、動画で撮ってみたら案外いける。そんな思いで撮りためた古墳動画を見て頂くことにしました。素人の撮影ですから、古墳マニアや専門家の方々からは厳しいご指摘はあるかと思います。ブログでは基本情報とともに一つの古墳に3-5本程度の動画(各1分以下)を用意しました。この素人の試みが古墳を具体的にイメージする一助となれば幸いです。

■古墳時代の時期区分
 このブログでは古墳時代を広瀬和雄さん(国立歴史民俗博物館名誉教授)が通説として紹介している古墳時代を前期(3C中頃から4C後半頃)、中期(4C末頃から5C後半頃)、後期(5C末頃から7C初め頃)、終末期(7C前半頃から8C初め頃)に区分して捉えています(前方後円墳の時代、岩波新書、2010年)。
■アップの順番
 前期⇒中期⇒後期(終末期)の古墳を一基ずつワンセットにして全国の古墳を網羅することを目指しています。三基の古墳には何ら有機的な関係はありません。一つの地域に集中して前期から終末期まで掘り下げて見るのが一般的ですが、敢えてそうしなかったのは古墳時代の前期、中期、後期に全国でどのような墳墓が築かれたかを知りたいと思ったからです。古墳の築造年代は専門家の間でも様々な意見があり実年代を確定することが如何に困難なことかは承知しています。そのような限界の下でも古墳を横断的にみると今まで見えてこなかったものが見えてきたような気がします。専門分野外の古墳時代に関心を持ちはじめて日も浅い者ならではの冒険です。
■ご覧になる方法
最新記事12件についてはそのまま下にスクロールすれば見れます。各都府県別古墳は右の一覧をクリックしてください。文中にも関連の古墳に直接飛べるようにリンクを貼ってあります。

タグ:4C後

 全国で前方後円墳が最も多く築かれたのはどこの県でしょう。ご存知の方も多いと思いますが今回その一基を紹介する千葉県が733基と第一位なのです。ついで群馬の455基、茨城が391と東国が続きます。多そうに見える奈良県は312基、大阪府は202基にとどまります。千葉県教育委員会の白井久美子さんによれば、このブログでも見てきたように関東では前期は前方後方墳が多数豪族の墓として採用される一方、近畿では前方後円墳がほとんど造られなくなった6C後半以降盛んに築かれていると指摘しています(「前方後円墳の理解」、千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 20142月)。その理由を白井さんは東北進出というヤマト王権の命題に呼応したためとみています。とても興味深い指摘でこのブログでも東国の古墳を紹介するときには頭に置いておきたいと思いました。

 肝心の今回の公津原古墳群ですが図の1にあるように三つの支群からなっています。JR成田線の成田湯川駅から南方向に歩くと八代台古墳群、天王塚・船塚古墳群、それに今回の最も南にある瓢塚古墳群が4㎞ほどの間に点在しています。元は公津原古墳群全体では120基を超える古墳があったようですが現在は38基余りが県の史跡に指定され住宅や公園の中に眠っています。既に方墳の大型墳船塚古墳(クリックすれば飛べます)を紹介しています。この地域は千葉県の北部に位置し、手賀沼・印旛沼周辺には既に紹介した巨大な方墳、龍角寺岩屋古墳や我孫子市の水神山古墳(クリックすれば飛べます)を含め多数の古墳が残されています。

 成田ニュータウンの造成に合わせて今回の公津原古墳群は復元整備されたようで住宅が密集するなかに古墳が溶け込んでいることに感心しました。いずれ紹介する団地や小学校の校庭のなかにも古墳が残され間近にみることができます。

 公津原3号墳は墳長45mと小ぶりですが前方部が未発達の前期古墳の特徴がよく残されています。天候に恵まれたこともあり南側からみる稜線の美しさが印象的でした。周濠の残存状況にも驚かされました。アクセスは成田湯川駅から徒歩をお勧めします。4-5時間あればゆっくりまわれます。撮影(20161231日)。
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公津原3号墳(瓢塚)基本データ

所在地 千葉県成田市加良部

形状 前方後円墳 周濠

規模 墳長45m、後円部径21m 高さ6m、前方部幅15m 高さ4m

1号墳 径25m 高さ2m2号墳 径23m 高さ2m

築造時期 4C

出土品 不明

史跡指定 県指定

特記事項 なし




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  今回紹介する古墳時代前期の4C前半頃に造られたと考えられる文殊山、阿弥陀山の両古墳は広瀬川(古墳時代には利根川が現在の広瀬川の位置に流れていた)沿いに4Cから7Cつまり古墳時代を通じて多数築かれた朝倉・広瀬古墳群に属しています。前橋埋蔵文化財センターの「朝倉・広瀬古墳群」のパンフレットによれば古墳群は旧利根川(広瀬川)の崖上に発達した前橋台地に位置し、北側には高燥な土地が帯状に延び、南側には肥沃な水田が広がる」東西4㎞ほど南北500mほどの範囲に造られています。

 実はこの古墳群から既に墳長130mの東日本では最大、全国でも第4位の前方後方墳、前橋八幡山古墳、墳長108m前橋二子山古墳天川二子山古墳ともいう)(クリックすれば飛べます)を紹介していますが、これらを含め昭和10年の調査では154基が確認されています。19基の前方後円墳、1基の前方後方墳、130基の円墳、1基の方墳、不明3基と首長クラスの主墳に部下たちの小墳が囲むように造られています。今では10基ほどが交通頻繁な道路沿い、立ち並ぶ住宅地の中に公園化され残されているだけですが、それでもパンフレットの地図に記された古墳の数の多さには度肝を抜かれます。

 今回の阿弥陀山と文殊山古墳は古墳群の最も東側に並ぶように位置しています。文殊山古墳については1995年の発掘調査では墳丘全体は川原石に覆われ、墳頂には壺形が立ち並んでいたわかっています。築造時期は4C前半から中頃とのこと。今では墳丘裾部は所有者の禅養寺の墓地となっていますが周囲をぐるっとまわれば大きな円墳ということはよくわかります。他方、発掘調査は行われておらず詳細は不明な阿弥陀山は円墳に短い前方部がついた小規模の帆立貝型の前方後円墳です。文殊山古墳と同じ頃に造られたのではないかと考えられているようです。動画1に見るように前方部には現代の墓石が立ちならんでいるものの墳頂から眺める文殊山古墳の墳丘は当時と変わらぬ姿に違いありません。アクセスはJR両毛線前橋大島駅から徒歩30分。前橋大島駅南側の4つ目の信号を左折ひたすら直進すると8つ目に禅養寺があり見渡すと二つの古墳が見えます(撮影 2017年2月7日)。
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阿弥陀山・文殊山古墳基本データ

所在地 群馬県前橋市

形状 帆立貝型前方後円墳(阿弥陀山)、円墳(文殊山)

規模 径25mの円墳に5mほどの前方部 高さ3.6m(阿弥陀山)径約50m 高さ6.1m(文殊山)

築造時期 4C

史跡指定 なし

出土品 壺(文殊山古墳)

特記事項 両古墳は民間所有



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 今回紹介する前期古墳は茨城県水戸市牛伏町にある墳長60mの牛伏17号墳です。水戸市にあるといっても市中心部までは東に10㎞ほど、大洗の海岸までは南東方向に20㎞超と栃木県寄り標高60mほどの微高地にあります。その牛伏古墳群、300m×200mほどのごく狭い地域に既に紹介した本格的な復元古墳牛伏4号墳(クリックすれば飛べます)はじめ前方後円墳が7基(内帆立貝型1基)、円墳9基が眠っています。

説明板や教育委員会の話では本格的な調査は4号墳以外は行われていないものの今回の前方後円墳17号墳の墳丘がバチ型をしていることや採集遺物(なにかは不明)などから古墳群中最初の4C後に築かれたとみられています。たしかに他の前方後円墳よりもはるかに大きく主墳としての威容を誇っています。動画でご覧のように墳長のわりに大きく見え、しかも中期の古墳と違って後円部と前方部の形状の差が顕著で前方後円墳を体感できます。動画3の後半で後円部から前方部を振り返るところでよくわかります。ただ後円部は後世のお祭りに使われた際にかなり削られ墳長部が広くなっています。埋葬施設はここにあったのか気になるところですがよくわからないようです。
  前方部の先に見えるのは埴輪を模したはに丸タワー(動画では誤って埴輪タワーとしています)で展望台になっています。なんと無粋なと思ったのですが最上階からは17号墳やいくつかの小墳が見え、山並みに囲まれたこの地を確認することができます。アクセスは常磐線水戸駅からイオンモール水戸内原行で中原バス停で下車し県道52号線を北に徒歩20分歩くと左側に案内板が見えます(撮影2016419日)

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牛伏17号墳(牛伏古墳群)基本データ
所在地 茨城県水戸市牛伏町
形状 前方後円墳
築造時期 4C
規模 墳長60m、後円部35m 高さ 5.48m、前方部長 24m
出土品 不明
史跡指定 なし
特記事項 なし




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  ようやく九州は宮崎県の前期古墳を紹介できることになりました。西都市の西都原古墳群の第1回目、13号墳と35号墳です。実は2014年の3月に一度訪れていますが動画撮影をまだはじめていなかったのです。手元にあるのは全て静止画像。今回は満を持して動画をと張り切りすぎたせいでしょうか。あいにくの本降りの雨。それでも歩き始めたら興味深い古墳ばかりで今回も予定の時間までにすべてをまわることはできませんでした。なにしろ前期から終末期まで前方後円墳18基を含む311基もの墳墓が東西2.6㎞南北4.2㎞の広さに築かれているのです。もっとも古墳は均等に並んでいるわけではありません。第一古墳群、第二古墳群、第三古墳群と呼ばれる地域に密集しています。今回の13号と35号墳は第一古墳群に前後に並ぶように築かれています。知っておられる方も多いと思いますが、以下は二基の説明の前に宮崎(日向)の古墳についての予備知識です。

改めて驚かされたのですが宮崎県は天孫降臨の神話の世界は別にしても九州七県の中で福岡県と並びずば抜けて前方後円墳が多く177基も築かれています。しかも九州の中で前期最大、墳長143m3号墳が生目古墳群に(いずれ紹介します)、中期では墳長176.3mの女狭穂塚古墳が西都原古墳群に造られています。古墳時代全体でみても九州で最大です。(このあたりの記述は北郷泰道さんの「西都原古墳群」(同成社、2005)に負っています)。なぜ宮崎(日向)に前方後円墳がそれほど多く、しかも大型なのか興味は尽きません。墳丘の形式や規模が地方の首長とヤマト王権との関係を示しているとすれば、宮崎の在地首長は特別に遇されていたということになります。ヤマト王権にとりなぜそれほど重要だったのかについてのヒントは交易ルートにあるようです。詳しくは北郷さんの本をご覧ください。

肝心の13号墳と35号墳ですが墳長78.5m70mと中規模の大きさの前方後円墳である一方、墳丘は前方部が細く長い柄鏡型でその特徴は動画3の35号墳の後円部からの眺めではっきりと確認できます。13号も同様に柄鏡型で後円部の高さが前方部よりはるかに高いという点も共通しています。前期に特有の墳丘形式です。ただ13号にはあった周濠が後から造られた35号にはありません。動画2で紹介している13号墳後円部の埋葬施設は全国的にみた復元古墳でも珍しいもので貴重です。後期古墳によくみかける横穴石室のように後円部の入口を入ると後円部頂から2mのところで見つかったという人頭大の川原石(礫)で覆われた粘土郭のレプリカを見ることができます。ずいぶん大きく感じました。

アクセスは宮交シティから一日2本出ている西都原考古博物館直行バス(復路も2本)を利用するのが便利です。1時間15分かかります(撮影日2017323日)。
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西都原古墳群(1)13号・35号墳基本データ

所在地 宮崎県西都市

形状 前方後円墳

規模 13号 墳長78.5m 後円部径45m 高さ6.7m、前方部幅26m 高さ4.1m

     三段築成 葺石

     35号 墳長70m 後円部径37m 高さ6.5m、前方部幅20m 高さ3.2m

     葺石 周濠

出土品 35号 三角縁神獣鏡、ひすい勾玉、ガラス小玉、鉄剣、刀子等

13号 方格規矩鏡、碧玉勾玉、管玉、直刀、鉄剣等

築造時期 4C

史跡指定 西都原古墳群として国の特別史跡

特記事項 35号墳は動画で紹介しているように後円部の礫に囲まれた埋葬施設が復元公開されている


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  今回は双方中円墳という形状の前期古墳、しかもオオヤマト古墳群の主要墓である崇神天皇陵(行燈山古墳)(クリックすれば飛べます)の隣という立地にある櫛山古墳です。墳長は152m155m表記のものもあります)もあります。オオヤマト古墳群の大型墓の大半が宮内庁管理にあって墳丘に近づくことができないなか、櫛山古墳は登ることができる数少ない古墳です。しかも整備が行き届いていて素人目にも円墳の前後にそれぞれ方形部分がつくという変わった形状がはっきりと確認できます。動画2以下でご覧になれます。
 双方中円墳といえば既に香川県高松市の岩清尾山古墳群の猫塚古墳鏡塚古墳(それぞれクリックすれば飛べます)を紹介しています。積石で覆われた不思議な墳丘ですが櫛山古墳との対比は面白いと思います。ただし岩清尾山古墳群とは違い、方形状の前方部と後方部は同じ長さではなく「動画撮影位置」にあるように後方部の長さは前方部の半分もありません。どうしてこのような珍しい形状の墳墓を造ったのか、立地面の制約なのでしょうか。

 櫛山古墳が墳長260mもある崇神天皇陵(行燈山古墳)の造られた数十年後東側に隣接して造られたことに特別の意味があるのでしょうか。これも興味深い点です。現地説明版によれば埋葬施設の石室及び長持型石棺や白礫を敷き詰めた墓前祭祀跡などから両者が密接な関係にあったことがうかがわれるようです。天理から桜井に至る山の辺の道では、JR桜井線柳本駅近くで左に崇神天皇陵、右に櫛山古墳を見ることになりますが、どういうわけか多くの方は櫛山古墳の存在を忘れてしまっているようです。是非、現地に赴かれる方は崇神天皇陵とセット珍しい双方中円墳の墳丘をご覧ください。櫛山古墳に直行する場合は柳本駅から東に徒歩で10分ほど。国道19号線を渡ると崇神天皇陵がありその奥です。非常にわかりやすいです(撮影日20151014日、1028日)。
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櫛山古墳基本データ

所在地 奈良県天理市柳本町

形状 双方中円墳 段築 中円部 後方部三段、前方部二段、葺石あり

規模 墳長155m、中円部径約90m 高さ17.5m、前方部幅60m 長さ60m 高さ10m、後方部長さ25m 高さ10m

築造時期 4C

出土品 石製腕飾類や鉄製品

特記事項 双方中円墳という珍しい墳丘をもつが前方部と後方部の長さは均等ではない

埋葬施設は竪穴石室  長さ7.1m、幅1.4m


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   動画5でその一端がお分かりになると思いますが、今回の作山古墳群、方墳、円墳、前方後円墳が一列に並ぶ姿は壮観の一言です。夕陽に映える墳丘を存分にお楽しみください。見事に復元された古墳は小規模ながら、古墳の総合展示場といった趣です。場所は天橋立から内陸に10㎞ほど入った京都府与謝野町になります。以前、丹後半島の神明山古墳を紹介しましたが(クリックすれば飛べます)、同時期に作山古墳群も築かれはじめていたということになります。隣接して築かれている蛭子山古墳は神明山古墳よりは小さいとはいえ墳長は145mもあります。いずれ紹介しますが、墳丘の一部は動画3の最後のほうでご覧になれます。

 造られた順に北から並べられた古墳は興味深いことに、方墳の5号墳と帆立貝式前方後円墳1号墳の前方部が重なっています。1号が築かれた時には5号墳の存在に気づかなかったのでしょうか。よく理解できません。各動画のキャンプションに書きましたように葺石があるもの、墳長に壺形埴輪による方形区画があるもの、葺石が全くないもの、色々です。それぞれが個性豊かです。各墳丘の裾には小規模な棺が埋葬され、1号墳だけでも木棺墓6基、埴輪棺墓6基、土器棺墓1基、土壙墓2基と15基もあり、古墳被葬者の権勢がうかがえます。

 また1号墳の墳頂の埋葬施設の復元も非常にリアリティに富んだ出来栄えです。組み合わせ式の石棺は副室が設けられており鉄製品が埋葬されていました。是非、動画2でその様子をご覧ください。こうした復元の試みは小石で囲ったり、図示するだけよりは明らかに古墳を理解するのに役立ちます。動画を撮るために二度の訪問となりましたが、再訪してよかったと感じられる古墳群でした。ガイダンス施設の古墳公園はにわ資料館も見応えがあります。残念ながらアクセスはよいとはいえず京都丹後鉄道与謝野駅からタクシーを利用するしかありません。10分ほどです(撮影日2015129日)。

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作山古墳群(丹後)基本データ

所在地 京都府与謝野町

形状 方墳(5号) 帆立貝式前方後円墳(1号)、円墳(2号)、方墳(3号)、前方後円墳(4号)

規模 5号方墳(一辺13m)葺石なし、1号帆立貝式前方後円墳(径36m、高さ4m)二段

築成、葺石、2号円墳(径28m、高さ3.5m)二段築成、葺石なし、3号方墳(一辺17m、高さ3m
葺石なし、4号前方後円墳(墳長30m、高さ3m)二段築成

築造時期 4C後から5C初、5号、1号、2号、3号、4号、5号の順

出土品 埴輪、1号墳からは銅鏡、石製品、玉類

史跡指定 国指定

特記事項 1号墳の埋葬施設は組み合わせ式石棺




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  動画1でおわかりのように甲府盆地を見下ろす標高425mにある復元された銚子塚古墳の姿は実に優美でした。思い浮かんだのは10㎞ほど南に下った甲府市にある甲斐銚子塚古墳にそっくりということでした。墳長は約6割程度と規模は小さいのですが、後円部径や高さ前方部幅など比率がよく似ています。専門的な見地からも類似性は指摘されているようで日本古墳大辞典(東京堂出版、1986)は甲斐銚子塚古墳(クリックすれば飛べます)とは墳形や副葬品や埴輪の製作技法からも類似性が指摘されていると述べています。
 古墳は八代ふるさと公園の一角にあり桜の季節ということもあり家族連れでにぎわっていました。よく整備され気持ちのよい墳丘です。古墳を身近に感じるにはこうした方法は有効に違いありません。もちろん、利用者がマナーを守ることは大前提ですが。
 説明板によれば、現在は後円部の裾だけ葺石が復元されていますが築造当時は墳丘全体が葺石で覆われ埴輪がめぐっていたようです。埋葬施設は後円部頂に丸太をくり抜いて、それを合わせ周囲を粘土でくるんだ粘土郭だったようで、その位置は動画3でわかります。江戸時代宝暦3年(1763年)に発掘が行われ銅鏡、鉄刀、鉄斧、玉類が出土した記録があるとも書かれていました。前期古墳だということは、後円部側から前方部をみるとよくわかります。裾幅が広がっておらず、いわゆる前方部の発達が中期以降と違いみられないのです。
 前方部の先には、陪塚でしょうか径23mの円墳、盃塚古墳が復元されています。築造時期は5Cにくだりますが、鉄鏃、鉄刀なども出土しています。
 アクセスですがJR中央線石和温泉駅から車で20分。今回、時間がなかったということもありこの古墳踏査の原則を破ってタクシーで現地に向かいました。実車時間20分ほど。

結構な距離です。八代ふるさと公園は四季折々の花々が来訪者を迎えてくれるようです。

是非、どうぞ(撮影日2016年3月31日)


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岡銚子塚古墳基本データ

所在地 山梨県笛吹市八代

形状 前方後円墳

規模 墳長92m、後円部径48m 高さ7.5m、前方部幅41m 高さ4m

前方部 二段築成、後円部 三段築成

出土品 銅鏡、鉄刀、鉄斧、玉類、埴輪

史跡指定 県指定、盃塚は町指定

特記事項 本文中で指摘したように甲府市の甲斐銚子塚古墳との密接な関連が指摘されている

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  ブログを開設して丁度160基目に紹介する古墳です。動画を編集しながらあらためてその神明山古墳の大きさに驚いています。日本海を望む京丹後市の竹野神社の裏山にある墳丘は長さ190mもあり(動画のキャプションの一部が180mになっていますが間違いです)、葺石も埴輪もあったというのですから、その景観は南に100㎞ほど離れた神戸市の五色塚古墳(クリックすれば飛べます)とそっくりだったのではないでしょうか。五色塚は瀬戸内海、神明山は日本海に面しています。どちらも海を支配した有力豪族の墓であったに違いありません。興味深いことに、墳長(190mと194m)も後円部径(129m125m)も前方部の幅(78mと81m )もほぼ同じです。築造の時期も極めて接近しています。
 神明山古墳のほうは現在では水田や道路になっていますが、内海である潟湖が墳丘の真下まできていたと考えられています。墳頂からは当時と同様、奇岩 玄武岩でできた立岩がよく見えます。不思議な感慨にとらわれました。
  竹野神社の境内横から墳丘に登ってもどこが古墳かと思えるほどでしたが、しばらく歩くと動画2で見るように後円部が見えてきました。ラッキーなことに二度目の訪問では雑草に煩わされることもなく明瞭な墳丘が迎えてくれました。後円部頂には竪穴石室があったと考えられています。この点も五色塚古墳と同様です。
  日本海側にひと際突き出た丹後半島で最大の古墳はこの神明山古墳と思ったところそうではありませんでした。京丹後市の網野銚子塚古墳が墳長198mとやや上回り、これに与謝郡与謝野町の墳長145mの蛭子山古墳を加えて日本海三大古墳と呼ばれているそうです。両古墳もいずれ機会を見て紹介したいと思いますが、時を経ずして大型の前方後円墳はこの地では築かれなくなったことが考古学者の研究から明らかになっています(石野博信編、全国古墳編年集成、雄山閣出版、1995年)。ヤマト王権がこの地の支配者に対して巨大古墳の築造を許さなくなったためでしょうか。
   五色塚、今回の神明山古墳に加え、海を一望できる前期築造の前方後円墳として神奈川県逗子市・葉山町にまたがる長柄桜山二号墳(クリックすれば飛べます)を思い起こしていただきたいと思います。中期古墳ですが石川県能美市の秋常山古墳(クリックすれば飛べます)の墳頂からも日本海を望むことができます。
  アクセスは京都丹後鉄道峰山駅から丹後海陸鉄道バス 間人(たいざ線)で約30分。丹後庁舎前下車。丹後庁舎で地図をもらうとよいでしょう。徒歩15分。バスは1時間に1本ほど(撮影2015年12月9日)。

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神明山古墳基本データ

所在地 京都府京丹後市丹後町

形状 前方後円墳

築造時期 4C

規模 墳長190m、後円部径129m 高さ26m、前方部幅78m 高さ15m 三段築成

葺石、埴輪あり

出土品 石製合子(ごうす、蓋つきの容器)、石製椅子、石製坩(かん、ものを入れる容器)

土師器

史跡指定 国指定

特記事項 本文でも触れたように網野銚子塚、蛭子山古墳と並び日本海三大古墳と
呼ばれている



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 こんなところにと思うかもしれません。しかし長柄桜山2号墳の前方部に立つと、この丘の先端 西側に向けた前方部の意味がよくわかります。その先には相模湾越しに富士山を望むことができるのです。冬は動画2(最後のほう)のように雪を冠った頂を仰ぎ見ることになるこの場所こそ被葬者を崇める最高の地だったでしょう。東京湾方向になる1号墳よりも立地としてはこの2号墳のほうが優れていると個人的には思います。いずれにせよ相模湾、東京湾水運を支配したに違いない被葬者の権力の大きさを想像するに十分な90mクラスの前方後円墳です。

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号墳は復元整備されていますが2号墳は未整備。いずれこちらも当時の姿に近づけてほしいものです。前期古墳にもかかわらず前方部のほうがやや高くなっています。墳丘形成にあたり地山を利用したからではないでしょうか。前方部の幅は45mと後円部径よりも9m短くなっていますが前期の1号墳よりも幅が広いようです。説明板の測量図からも確認できます。その墳丘には円筒埴輪と壺形埴輪が立て並べていました。残念ながら丘陵突端に造られているために裾におりると見上げるしかありません。動画3がぎりぎりのところです。

 
 東京の近くしかも運がよければ富士山や丹沢を望むことができるという意味でもお勧めの古墳です。アクセスは逗子駅バス4番乗り場から葉桜行で終点下車。徒歩1号墳墳丘まで20分ほど。2号墳へはそこから10分。葉桜のバス停に長柄桜山古墳方面と標識が立っています。迷ったら住宅地先の西方向にある森を目指してください。登り口に説明板があります(撮影2016年1月20日)。


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長柄桜山2号墳基本データ

所在地 神奈川県逗子市、葉山町

形状 前方後円墳

規模 墳長88m、後円部径54m 高さ7.3m、 前方部幅45m 高さ8.7m

葺石あり

築造時期 4C

出土品 壺形埴輪、円筒形埴輪

史跡指定 国指定

特記事項 1999年に携帯電話の中継基地建設工事に伴う小規模な伐採及び整地が行われた際、葉山町の歴史愛好家が埴輪片を発見したことをきっかけにその存在が知られるようになったという(逗子市HP

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111日に飯野坂古墳群(1)として築造順に観音塚、宮山の両古墳を紹介しましたが、今回はそれに続く時期に造られた山居(さんきょ)古墳を紹介します(築造順ではいずれ紹介する薬師堂古墳のほうが先)。動画でおわかりのように前の二つの前方後方墳とは違い墳丘の雑木がほとんど伐採され全体像がはっきりわかります。後方部からの眺めは素晴らしく、周辺を見下ろす高台に造られていることがわかります。この点は飯野坂古墳群(1)で紹介した観音塚、宮山も同じなのですが雑木林に覆われて眺望がききませんでした。ただ動画1でわかるように段築と勘違いしてしまいそうな凹凸があります。古墳が以前農業用地として使われたり、団地造成に際して一部削られたためだそうです(名取市教育委員会の方の説明)。飯野坂古墳群(1)(2)それにいずれアップする(3)の薬師堂を加えると、至近の距離に670mクラスの前方後方墳が立ち並んでいることになるのですから壮観です。

肝心の築造時期ですが、現地説明版では最後に造られたと考えられる山居北古墳を含め4C内に収まるとの記述から後半としました。以前は5Cに造られたとの記述もあったようですが、今回の現地説明版は2015年に設置されたものであり、こちらの解釈を採用しました。今回の山居古墳も前方部幅が後方部の一辺よりも狭く発達していないのが特徴です。また、後方部が前方部よりも高くなっています。未調査のために埋葬施設等古墳について詳しくはわかっていません。それでも国指定の史跡になっているのは、隣接する区域に前方後方墳が集中して造られており、全国的にも例をみない特異な構成をとっているから(説明板)だと理解しました。

 アクセスは名取駅からコミュニティーバスなとりん号で山居(さんきょ)住宅前で降りるのが近いとされていますが、本数が極端に少ないので東北本線館腰駅か名取駅から徒歩のほうが早いと思います。館腰駅から雷神山古墳を訪ねたあと西側入り口に出て129号線を北上し注意深く歩くと道沿いに飯野坂古墳群中最後に造られた薬師堂古墳方面の⇒が見えます。鳥居があり階段をあがると古墳があります。観音塚、宮山方面へも案内⇒はありますが、必ずHPの「位置関係はこちら」という地図を印刷して持参することをお勧めします(撮影2015年11月5日)。


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