山畑古墳群。現在では宅地造成等により70基を数えるだけですが、古墳時代には100基を超える規模の群集墳だったと考えられ、今回の2号墳の上円下方墳や、博物館横の22号墳の双円墳のように、個性的な墳丘をもつ古墳が含まれていることでも知られているようです。そして、多くの古墳の副葬品に馬具が含まれていることから、当時、重要な役割を果たしていた騎馬を飼育していた馬飼部といわれる、百済系の渡来氏族の(河内首一族)の墓ではないかといわれています(「東大阪市の古墳」東大阪市教育委員会、1996)。 今回の2号墳、一辺28mの方墳の上に、円墳が載っている上円下方墳と呼ばれる古墳のようです。全国でも類例が少なく、奈良県木津川市の石のカラト古墳他6例を数えるだけです。残念ながら山畑2号墳は、測量図をみると確かに上円下方の形をしていますが、正式に認められたものではないようです。玄室部分は円の部分に造られているようです。
以前訪れた時は、道なりに石室前に到着して見学したのですが、今回は動画最後にあるように、方墳部分から上ってみました。下から上ると石室は、はじめ残存部分の頭がみえるだけです。この墳丘の特徴がわかるかと思われます。それにしても、非常に保存状況のよい石室で、長さは16.6mもあります。玄室も高さこそ3.1mとそれほど高くはありませんが、長さは6.4m、幅は2.5mもあります。これが史跡指定を受けていないことに驚きを感じるとともに、この石室が、今後どのような扱いを受けるのか不安になります(撮影2022年12月初旬)。
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