山口県の道沿いに複室構造の石室が5基も
どのようにこの古墳群、丸塚古墳群を紹介したらよいか、少々、悩みました。これまで紹介してきた古墳や古墳石室は、墳丘、石室、完存に近いものが大半で、それらの一つ一つを一回のブログで取り上げてきました。ところが、全部で5基、1.5㎞ほどの道沿いに見学可能な石室が点在す、丸塚古墳群ですが、その全てが複室構造という点が特徴であるにもかかわらず、羨道、前室、後室が完存しているものはないのです。これだけアクセスがよいところに立地しているという理由から当然かもしれません。羨道の滅失、前室の半壊が共通した特徴です。とはいえ、アクセスが抜群によいということでお勧めです。
今回は、封土が完全に流失した墳丘を復元し、市の史跡指定となっている5号墳、ミカン畑に墳丘も残る2号墳(こちらも市の史跡)、位置的にはそれらの間にある3号墳を紹介します。複室構造の石室は北九州に多くみられますが、この地域も北九州の文化圏に含まれていたということでしょうか。所在地マップの広域版をご覧頂くと、その位置がわかります。海沿いということからすれば、北九州との交流があったことは容易に想像できます。5号墳は、動画冒頭でおわかりのように、道路沿いにあるので、すぐに気が付きます。後室よりは、天井石が欠損している前室の堂々とした広さが印象に残りました。少々、ウロウロしたあげく、その北側に、その姿を見つけた3号墳は、石室のみのスケルトン状態。5号墳とは違い、大きな板石で造られた複室構造です。残念なのは、その特徴がよくわからないぐらい、石室内に蔓か根茎が垂れ下がり視界を遮られたことです。もう少し、整備に力を入れたらとよいのではないでしょうか。そこから北へさらに歩くと、2号墳の道標があり、簡単に墳丘が見つけられます。石室は後室の奥壁、巨石の腰石の上に中型の石材が積まれています。羨道、前室を含め残っていればと思うのは私だけでないでしょう。出土品は、馬具の破片、土師器、須恵器片にとどまっています(撮影2022年12月末)。
どのようにこの古墳群、丸塚古墳群を紹介したらよいか、少々、悩みました。これまで紹介してきた古墳や古墳石室は、墳丘、石室、完存に近いものが大半で、それらの一つ一つを一回のブログで取り上げてきました。ところが、全部で5基、1.5㎞ほどの道沿いに見学可能な石室が点在す、丸塚古墳群ですが、その全てが複室構造という点が特徴であるにもかかわらず、羨道、前室、後室が完存しているものはないのです。これだけアクセスがよいところに立地しているという理由から当然かもしれません。羨道の滅失、前室の半壊が共通した特徴です。とはいえ、アクセスが抜群によいということでお勧めです。 今回は、封土が完全に流失した墳丘を復元し、市の史跡指定となっている5号墳、ミカン畑に墳丘も残る2号墳(こちらも市の史跡)、位置的にはそれらの間にある3号墳を紹介します。複室構造の石室は北九州に多くみられますが、この地域も北九州の文化圏に含まれていたということでしょうか。所在地マップの広域版をご覧頂くと、その位置がわかります。海沿いということからすれば、北九州との交流があったことは容易に想像できます。5号墳は、動画冒頭でおわかりのように、道路沿いにあるので、すぐに気が付きます。後室よりは、天井石が欠損している前室の堂々とした広さが印象に残りました。少々、ウロウロしたあげく、その北側に、その姿を見つけた3号墳は、石室のみのスケルトン状態。5号墳とは違い、大きな板石で造られた複室構造です。残念なのは、その特徴がよくわからないぐらい、石室内に蔓か根茎が垂れ下がり視界を遮られたことです。もう少し、整備に力を入れたらとよいのではないでしょうか。そこから北へさらに歩くと、2号墳の道標があり、簡単に墳丘が見つけられます。石室は後室の奥壁、巨石の腰石の上に中型の石材が積まれています。羨道、前室を含め残っていればと思うのは私だけでないでしょう。出土品は、馬具の破片、土師器、須恵器片にとどまっています(撮影2022年12月末)。