はじめてホケノ山古墳を訪ねたのは古墳踏査をはじめて間もない2013年12月のことでした。ついで2015年4月に動画で墳丘を収めようとでかけましたが、この時は墳丘に草が生い茂り、本来の姿はよく見えませんでした。その一回目の動画はこちらです(クリック)。それ以来、多少なりとも知識が増えたのか、見学のツボもわかるようになった気がします。今回改めて気が付いたのは、冒頭、北方向から南方向に下る道路がホケノ山古墳の墳丘東側を周濠沿いに縦断しているということでした。とりわけ墳丘で重要な帆立貝形前方後円墳の前方部を「カーブしている」道路が縦断してしまっているのが何とも残念です。本来は3.5mほどあった墳丘は今ではその5分の1ほどに平滑されてしまい、注意しないと前方部なのか道路なのかわかりません。ひょっとして道路を造る段階では調査が行われておらず、残っている墳丘は円墳ぐらいにしか思われていなかったのではないかと疑ってしまいます。幸い説明板に測量図が載っていますが、それをみると前方部の先端は住宅の下に潜っているようにも感じられます。 現状からホケノ山古墳って大したことはないなと勘違いする人も(私が最初に訪問した時のように)多いかもしれません。ところが復元はされていませんが、後円部頂には長さ7m×幅2.7m×深さ1.5mの石囲いが造られ、中には高野槙製の刳り抜き式木棺が置かれ、画文帯神獣鏡、鉄鏃、壺などが出土しています。かなり大掛かりな埋葬施設です。造られたのは墳丘西側の定型化されたはじめての前方後円墳として知られる箸墓古墳より古く3C央と考えられているようです。そして興味深いことに6C末に長さ14mもある横穴石室(玄室に家形石棺)が造られたことが確認されています(埋め戻し)(撮影2022年2月18日)。
ホケノ山古墳(纏向型前方後円墳)(リニューアル版)(桜井市)(奈良県)(前期)Hokenoyama Tumulus,Nara Pref.
はじめてホケノ山古墳を訪ねたのは古墳踏査をはじめて間もない2013年12月のことでした。ついで2015年4月に動画で墳丘を収めようとでかけましたが、この時は墳丘に草が生い茂り、本来の姿はよく見えませんでした。その一回目の動画はこちらです(クリック)。それ以来、多少なりとも知識が増えたのか、見学のツボもわかるようになった気がします。今回改めて気が付いたのは、冒頭、北方向から南方向に下る道路がホケノ山古墳の墳丘東側を周濠沿いに縦断しているということでした。とりわけ墳丘で重要な帆立貝形前方後円墳の前方部を「カーブしている」道路が縦断してしまっているのが何とも残念です。本来は3.5mほどあった墳丘は今ではその5分の1ほどに平滑されてしまい、注意しないと前方部なのか道路なのかわかりません。ひょっとして道路を造る段階では調査が行われておらず、残っている墳丘は円墳ぐらいにしか思われていなかったのではないかと疑ってしまいます。幸い説明板に測量図が載っていますが、それをみると前方部の先端は住宅の下に潜っているようにも感じられます。 現状からホケノ山古墳って大したことはないなと勘違いする人も(私が最初に訪問した時のように)多いかもしれません。ところが復元はされていませんが、後円部頂には長さ7m×幅2.7m×深さ1.5mの石囲いが造られ、中には高野槙製の刳り抜き式木棺が置かれ、画文帯神獣鏡、鉄鏃、壺などが出土しています。かなり大掛かりな埋葬施設です。造られたのは墳丘西側の定型化されたはじめての前方後円墳として知られる箸墓古墳より古く3C央と考えられているようです。そして興味深いことに6C末に長さ14mもある横穴石室(玄室に家形石棺)が造られたことが確認されています(埋め戻し)(撮影2022年2月18日)。