少々残念な2基の古墳。でも古墳のせいではありません!
真庭市といってもピンとくる人は少ないと思います。備中松山城のある備中高梁駅まで、JR伯備線で移動し、その後はバスで国道311号線をひたすら北上します。今回の2基の古墳もその沿線上に築かれています。真庭市の南端、北房地域は交通の要衝だからこそ、古墳時代当には、多数の墳墓が築かれてきたようです(真庭市教育委員会、2008)。とはいえ、全国で310基あまりしかない100mを越える前方後円墳は築かれておらず、盟主墳と考えられる立1号墳でも墳長は88mどまりです。ということは、築かれた5Cでは、あくまで地域の首長墓止まりだったといえそうです。少々、残念なのは前方後円墳ということはわかりますが、墳丘が大きく改変され、現代の墓が立ちならんでいる点です。くびれには、竪穴石室が確認されたようです。もう一基の下村古墳。横穴石室が北九州から中国地方に波及して、それほど時間が経たずに造られたのではと思わせる、自然石のゴツゴツした感じが特徴の超素朴な石室です。礫岩だそうです。時代は大きく下りますが、見事な切石でできた大谷1号墳(クリック)とは全く異なります。是非、比較してみてください。残念なのは、墳丘が草茫々の荒れ放題な点です。天井石が落下して開口部を塞いでいることも、よくわからないほどです。これでは古墳が可哀そうです。
真庭市といってもピンとくる人は少ないと思います。備中松山城のある備中高梁駅まで、JR伯備線で移動し、その後はバスで国道311号線をひたすら北上します。今回の2基の古墳もその沿線上に築かれています。真庭市の南端、北房地域は交通の要衝だからこそ、古墳時代当には、多数の墳墓が築かれてきたようです(真庭市教育委員会、2008)。とはいえ、全国で310基あまりしかない100mを越える前方後円墳は築かれておらず、盟主墳と考えられる立1号墳でも墳長は88mどまりです。ということは、築かれた5Cでは、あくまで地域の首長墓止まりだったといえそうです。少々、残念なのは前方後円墳ということはわかりますが、墳丘が大きく改変され、現代の墓が立ちならんでいる点です。くびれには、竪穴石室が確認されたようです。もう一基の下村古墳。横穴石室が北九州から中国地方に波及して、それほど時間が経たずに造られたのではと思わせる、自然石のゴツゴツした感じが特徴の超素朴な石室です。礫岩だそうです。時代は大きく下りますが、見事な切石でできた大谷1号墳(クリック)とは全く異なります。是非、比較してみてください。残念なのは、墳丘が草茫々の荒れ放題な点です。天井石が落下して開口部を塞いでいることも、よくわからないほどです。これでは古墳が可哀そうです。