これはいったい何?現代アートのような石のオブジェ!
奈良県の明日香村をはじめて訪れた人が、この石造物をみたとしても、何やらさっぱりわからないと思います。私もそうでした。まず、鬼の雪隠ですが、しばらくして、古墳時代終末期の横口式石槨の蓋にあたる部分ということはわかったのですが、現状は、蓋がひっくり返った状況でわかりにくいです。本来の姿を想像するには、時間がかかりました。ただ、どうして、50mほど北にあがったところに残されている底石と離れ離れになってしまったかを想像することは興味深いテーマです。 後世、完成している古墳墳丘の中の横口式石槨の石材を再利用しようと盗掘集団が運搬中に、運びきれずに、そのまま放置したのか。それとも、古墳築造中に、底石(鬼の俎)に被せるために、蓋石の部分(鬼の雪隠)を運搬中に転がってしまったのでしょうか。石材の花崗岩の密度を前提に計算すると5.3トンにもなる重さ。小型トラック一台分の重量です。これらをどう運搬したのか、いわゆる修羅を使用したのか、現代の技術者はどう考えるでしょうか。
それはともかく、横口式石槨を確認しておくと、古墳時代350年間に変化してきた埋葬施設のなかで、7C後半から8C初めの終末期と呼ばれる時期(飛鳥時代と重なる)に流行した形式で、奈良や大阪に多くみられます。大型の花崗岩などを刳り抜いて、箱状の立体物を造り、内部に木棺を収めるというスタイルです(蓋の部分)。短辺の小口が開口部です。底石にその立体構造物を被せれば完成です。動画のはじめに紹介しているのは、その完成形で、大阪府寝屋川市の石宝殿古墳です。宮内庁は、なぜかわかりませんが、欽明天皇陵の陪塚としています。 鬼の雪隠、俎のいわれですが、この地方に棲む鬼が通行人を騙して捕らえ、俎で調理し、雪隠で用を足したという伝説に基づいているそうですが、料理と雪隠とは、妙な取り合わせですね(撮影2021年、2023年ともに7月下旬)。
奈良県の明日香村をはじめて訪れた人が、この石造物をみたとしても、何やらさっぱりわからないと思います。私もそうでした。まず、鬼の雪隠ですが、しばらくして、古墳時代終末期の横口式石槨の蓋にあたる部分ということはわかったのですが、現状は、蓋がひっくり返った状況でわかりにくいです。本来の姿を想像するには、時間がかかりました。ただ、どうして、50mほど北にあがったところに残されている底石と離れ離れになってしまったかを想像することは興味深いテーマです。 後世、完成している古墳墳丘の中の横口式石槨の石材を再利用しようと盗掘集団が運搬中に、運びきれずに、そのまま放置したのか。それとも、古墳築造中に、底石(鬼の俎)に被せるために、蓋石の部分(鬼の雪隠)を運搬中に転がってしまったのでしょうか。石材の花崗岩の密度を前提に計算すると5.3トンにもなる重さ。小型トラック一台分の重量です。これらをどう運搬したのか、いわゆる修羅を使用したのか、現代の技術者はどう考えるでしょうか。
それはともかく、横口式石槨を確認しておくと、古墳時代350年間に変化してきた埋葬施設のなかで、7C後半から8C初めの終末期と呼ばれる時期(飛鳥時代と重なる)に流行した形式で、奈良や大阪に多くみられます。大型の花崗岩などを刳り抜いて、箱状の立体物を造り、内部に木棺を収めるというスタイルです(蓋の部分)。短辺の小口が開口部です。底石にその立体構造物を被せれば完成です。動画のはじめに紹介しているのは、その完成形で、大阪府寝屋川市の石宝殿古墳です。宮内庁は、なぜかわかりませんが、欽明天皇陵の陪塚としています。 鬼の雪隠、俎のいわれですが、この地方に棲む鬼が通行人を騙して捕らえ、俎で調理し、雪隠で用を足したという伝説に基づいているそうですが、料理と雪隠とは、妙な取り合わせですね(撮影2021年、2023年ともに7月下旬)。