中小の石材を積んだ均整の取れた美しい石室
長めの羨道の奥に玄室が浮かび上がった時、冗談抜きで思わず声が出ました。中型から小型の石材を積み上げた側壁、その先に見える玄室の奥壁、実に均整がとれています。設計者が、こうして後世、見られることを意図していたとは思えませんが、そう思いたくなるほど絶妙なバランスです。いやはや見事! 実はこの石室江戸時代には硝煙庫と呼ばれていたように火薬庫として用いられたこともあり、だいぶ前から開口していたようです。そのためでしょうか、本来なら歩きにくい凸凹とした敷石があるはずのところがコンクリートで固められてしまっています。そのカーペットを敷いたような滑らかな床部分と乱積みの側壁とが絶妙な「美しさ」を産んでいます。石室長さは14.2m、玄室長7.9m、羨道長5.3mで幅は一番広いところでも2.44mしかありませんから、かなり細長い玄室です。動画のキャプションにはやや胴張り気味か(?)と書きましたが山梨県埋蔵文化財センターHPの実測図をみると長方形で羨道との接続部分、袖はややㇵの字型に組まれた両袖式です。天井は玄室、羨道とも高さは同じで、このような特徴は畿内の石室には見いだせず、類例は群馬、長野に見られるようです。興味深いことに築万寿森古墳の築造年代は発掘調査の際の出土品等から6C第2四半期と考えられ、その時期では列島で最大の規模の石室だったそうです。両袖式が広範囲に畿内で普及するのは6C後半以降だと考えられ、万寿森築造当時、畿内では大王墓以外両袖式は用いられず、片袖式だったそうです。その意味でも、この万寿森古墳が特別の存在だったことがわかります。石室のことばかり書きましたが、墳丘は西31m、南北38m、高さ5mだと考えられています。加牟那塚古墳から南東方向に1㎞ほど。徒歩でも20分ほどです。石室は教育委員会に事前申請すれば開けてもらえます(撮影2019年11月14日)。
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長めの羨道の奥に玄室が浮かび上がった時、冗談抜きで思わず声が出ました。中型から小型の石材を積み上げた側壁、その先に見える玄室の奥壁、実に均整がとれています。設計者が、こうして後世、見られることを意図していたとは思えませんが、そう思いたくなるほど絶妙なバランスです。いやはや見事! 実はこの石室江戸時代には硝煙庫と呼ばれていたように火薬庫として用いられたこともあり、だいぶ前から開口していたようです。そのためでしょうか、本来なら歩きにくい凸凹とした敷石があるはずのところがコンクリートで固められてしまっています。そのカーペットを敷いたような滑らかな床部分と乱積みの側壁とが絶妙な「美しさ」を産んでいます。石室長さは14.2m、玄室長7.9m、羨道長5.3mで幅は一番広いところでも2.44mしかありませんから、かなり細長い玄室です。動画のキャプションにはやや胴張り気味か(?)と書きましたが山梨県埋蔵文化財センターHPの実測図をみると長方形で羨道との接続部分、袖はややㇵの字型に組まれた両袖式です。天井は玄室、羨道とも高さは同じで、このような特徴は畿内の石室には見いだせず、類例は群馬、長野に見られるようです。興味深いことに築万寿森古墳の築造年代は発掘調査の際の出土品等から6C第2四半期と考えられ、その時期では列島で最大の規模の石室だったそうです。両袖式が広範囲に畿内で普及するのは6C後半以降だと考えられ、万寿森築造当時、畿内では大王墓以外両袖式は用いられず、片袖式だったそうです。その意味でも、この万寿森古墳が特別の存在だったことがわかります。石室のことばかり書きましたが、墳丘は西31m、南北38m、高さ5mだと考えられています。加牟那塚古墳から南東方向に1㎞ほど。徒歩でも20分ほどです。石室は教育委員会に事前申請すれば開けてもらえます(撮影2019年11月14日)。
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