片岩の板石平積みが美しい大型石室
奈良県五條市の古墳。このブログでも五條猫塚古墳、近内塚山古墳、近内つじの山古墳、近内鑵子(カンス)塚古墳(いずれも古墳名をクリックすれば飛べます)を紹介してきましたが、巨大円墳の鑵子塚古墳を除けばいずれも方墳でしかも標高800mほどの神福山の山麓に広がる近内エリアにあります(マップ参照)。ところが今回の南阿田大塚山古墳は近内エリアの南東を流れる吉野川沿いに築かれ、しかも五條市では小型とはいえ前方後円墳で丘陵の高みに築かれています。しかもご覧のように精緻に板石が積まれた大型の石室を有しています。この地域ではまだ横穴石室が主流ではなかった時期6C前半の築造という点でも、かなりの有力者の古墳だということがわかります。出土した副葬品も馬具、挂甲、鉾、鉄鏃等武具、装身具、須恵器と豊富だったようです(現地案内板)。
現地には近鉄線下市口から吉野川沿いに歩いて到着。おそらく古墳時代とそう大きくは変わりない景色を楽しみながら県道沿いに1時間ほどの道のりでした。ただ、道路沿いに看板を見つけてほっとしたのもつかの間。古墳のある山頂まで結構な上り坂です。ようやく到着して疲れは吹っ飛びました。私の好みの板石を幾重にも積み重ねた石積みの石室が待っていてくれました。全体として天井は低いのですが、縦横のバランスがとてもよいのが好印象です。床の礫に注意しながら長い羨道歩くと、玄室の奥壁が見えてきました。これも見慣れた大きな鏡石のある奥壁ではなく、小型の石をパズルのように並べはめた丁寧な造りです。比較的初期の横穴石室で、一枚板の大型の平石を用意するのが難しかったのでしょうか。しかし、それが却って石室全体の統一感をもたらしている気がしました。特徴的なのは羨道から玄室に入る時に一段床が下がっていることです。しかもかなりです。玄室の高さが2.4mしかないにもかかわらず、より天井が高く感じたのはこの構造のせいかもしれません。ただ主として緑泥片岩が用いられていることはわかったのですが、全体に黒ずんでいるのはなぜなのか気になりました。よく見ると煤のような感じです。五條市文化博物館の学芸員の方が調べてくださったのですが、古墳時代には追葬は行わた様子はないものの、平安時代、室町時代のものと思われる須恵器や人骨、さらには火打鎌(火打石)も出土していることから墓としての再利用が行われ、側壁の色調に影響したのではとのことでした。じっくりご覧ください(撮影2018年12月18日)。
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