黒い塊の積石塚が迫る
長野県の積石塚古墳の大半(500基)が群集墳、大室古墳群、たとえばこれ(クリック)に集中しています。このブログでもいくつか紹介していますが、だいぶ雰囲気が違います。松本市の積石塚、針塚古墳(クリック)とも同じではありません。それもそのはず、こちらは径25.5mのもとは中型円墳で高さも2-3mはあります。 大室古墳群のような小規模のものではありません。他方、針塚古墳は径20mはありますが、全体に丸みを帯びた川原石で造られていて、八丁鎧塚古墳、大室古墳群のごつごつした岩のような石ではありません。言い方は気を付けなければなりませんが、なにかグロテスクな感じもします。亡くなった有力者を弔う場として果たして適当なのか、と首を傾げてしまいますが、この周辺(長野)の古墳時代にあっては当たり前だったのでしょうと書いたところで調べてみると、長野の積石塚は、渡来系、とくに高句麗からの人々の墓ではないかといわれているそうです。北陸ほど豪雪地帯ではなく、馬生産などに従事した渡来系の人々の墓ではないかといわれています。
なるほどと思いながら現在3基残る八丁鎧塚古墳群をみてみました。北側の展望台に上ると右から径25.5m、高さ3mの2号墳がみえます。きれいな2段築成の墳丘です。ミニ造り出しの張り出しがあり、箱式石棺の底の囲いが残されています。5C後半。帯金具が出土しています。左手の1号墳との間には、通常の墳丘に葺石があった6号墳の底部がありますが、1号墳の墳丘が崩れているために、その区別がよくわかりません。そして1号墳。2号墳と同じ25.5m、高さ2.5m。円墳というよりは、ヒトデの角のような突出部があるために、島根、鳥取に多い、四隅突出墳丘墓にみえてしまいました。こちらは古墳時代前期の4C後半。玉類や貝製の釧が出土しているそうです。
あいにくの曇り空だったせいもあり、見栄えという点からすると今一つでしたが、貴重な古墳であることは間違いがなさそうです。展望台から全体像を把握できる点もいいですね。難点は交通の便が悪いこと。須坂駅からバスで上八町社務所まで行き、南東方向に1.5㎞歩くと動画の最初のほうに出てくる看板がみえます(撮影2022年3月末)。
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長野県の積石塚古墳の大半(500基)が群集墳、大室古墳群、たとえばこれ(クリック)に集中しています。このブログでもいくつか紹介していますが、だいぶ雰囲気が違います。松本市の積石塚、針塚古墳(クリック)とも同じではありません。それもそのはず、こちらは径25.5mのもとは中型円墳で高さも2-3mはあります。 大室古墳群のような小規模のものではありません。他方、針塚古墳は径20mはありますが、全体に丸みを帯びた川原石で造られていて、八丁鎧塚古墳、大室古墳群のごつごつした岩のような石ではありません。言い方は気を付けなければなりませんが、なにかグロテスクな感じもします。亡くなった有力者を弔う場として果たして適当なのか、と首を傾げてしまいますが、この周辺(長野)の古墳時代にあっては当たり前だったのでしょうと書いたところで調べてみると、長野の積石塚は、渡来系、とくに高句麗からの人々の墓ではないかといわれているそうです。北陸ほど豪雪地帯ではなく、馬生産などに従事した渡来系の人々の墓ではないかといわれています。
なるほどと思いながら現在3基残る八丁鎧塚古墳群をみてみました。北側の展望台に上ると右から径25.5m、高さ3mの2号墳がみえます。きれいな2段築成の墳丘です。ミニ造り出しの張り出しがあり、箱式石棺の底の囲いが残されています。5C後半。帯金具が出土しています。左手の1号墳との間には、通常の墳丘に葺石があった6号墳の底部がありますが、1号墳の墳丘が崩れているために、その区別がよくわかりません。そして1号墳。2号墳と同じ25.5m、高さ2.5m。円墳というよりは、ヒトデの角のような突出部があるために、島根、鳥取に多い、四隅突出墳丘墓にみえてしまいました。こちらは古墳時代前期の4C後半。玉類や貝製の釧が出土しているそうです。
あいにくの曇り空だったせいもあり、見栄えという点からすると今一つでしたが、貴重な古墳であることは間違いがなさそうです。展望台から全体像を把握できる点もいいですね。難点は交通の便が悪いこと。須坂駅からバスで上八町社務所まで行き、南東方向に1.5㎞歩くと動画の最初のほうに出てくる看板がみえます(撮影2022年3月末)。
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