コワー!崖っぷち に開口のドーム型石室と円文が残る石室
金武古墳群に含まれる夫婦塚古墳は古墳踏査のはじめの頃に訪ねていますが、それ以外の墳墓にも開口する石室がいくつかあると聞き、夫婦塚古墳への再訪を兼ねて出かけることにしました。ところが福岡空港に午前中に着いても、天神3丁目のバス停から古墳群近くの「かなたけの里公園」に行く、金武営業所行のバスは午後は13時15分の一本のみ。「公園」まで1時間ほどかかり、そこから徒歩で夫婦塚古墳経由、金武古墳群を探索するとなると、あまり時間がありません。というのも戻りのバスで適当なのは16時38分しかないのです。日が暮れるのが早く、16時半をまわると辺りは暗く、その後のバスまで真っ暗闇の中で待つ期にはなれません。
もっとも当日は動画冒頭のように天気に恵まれ、農作業をしている親父さんに夫婦塚古墳の位置などを確認しながら先を急ぎました。ほとんど迷うことなく夫婦塚古墳に到着。ここまではよかったのですが、そこからが下調べを入念にしたにもかかわらず、難航しました。古墳とアレさんのブログにあった古墳近くの景色がみつからないのです。焦ります。ようやく古墳群が広がる藪を発見。とりあえず、藪に突入すると、前日までの雨に濡れた落葉が滑って歩きにくいことこのうえもありません。 6号墳と思しきかなり大きな墳丘を見つけ、石室開口部を探します。墳丘の半分は、後世、土取りで削られているということは知っていましたが、その開口部が思っていたより急角度の斜面に、小さく開いていたこともあり、一向にみつかりません。あっちウロウロこっちウロウロ。そうこうしているうちに、石室天井の一部が抜き取られているところを発見。そこからたどっていき、ようやく開口部が見つかりました。
つまらない話をくどくどと申し訳ありませんが、これは備忘録。忘れないうちに何があったかを書き留めておこうということなのでご容赦ください。高所恐怖症なので、右手にカメラを持ち、開口部に近づき、石室に突入するところを撮るのはあきらめました。崖から落ちてしまうと思ったからです。あとから考えると、それほど危険ではなかったような気がするのですが、思い出してもドキドキします。 石室自体は中型の石材を巧みに積んだ穹窿式(ドーム型)で、こじんまりとまとまったもので、なかなか味わい深いものでした。天井の一部が抜き取られ、そこが明り取りになっています。皮肉です。動画の最後にあるように、その穴から普通は見ることのできない角度の奥壁の表情が確認できます。もう1基の7号墳も、さほど苦労せずに、墳丘を確認。土嚢に囲まれた開口部から覗き込むと、円文らしき模様が三つ確認できました。ズームを使って撮ったところ、現地で見たよりもはっきりとその様相が捉えられていました。 6号、7号と予定していた2基を無事に見学でき、時計をみると午後4時近く。バスの時間まで40分ほど。かなり余裕ではと一安心。ここでハプニング、油断したせいでしょうか。下草と落葉に足をとられ、しりもちをつき、カメラも近くに転がってしまいました。幸い、カメラも私の足も無事で、先を急ぎます。ただ、土地勘のない悲しさ。あとでわかったのですが、目指すかなたけの里公園のバス停とは逆の方向に歩いていて、気が付いた時には16時37分のバスまで残り20分しかありません。残念ながら最後は小走りをしたにもかかわらず、予定のバスの後ろ姿を見送ることに。次のバスはたっぷり日が暮れた午後6時代です。と、バスの時刻表をみるとJR姪浜駅行きのバスが30分後には来ることがわかり、ほっと一安心したもののどっと疲れが出ました。
肝心の古墳群ですが、福岡県の北西部に広がる早良(さわら)平野から日向峠を経て糸島平野にかけてのルートは、弥生時代から古墳時代、その後も官道に指定されるなど、交通の要衝だったそうで、今回の2基を含む金武古墳群は、その道沿いに造られています。ご覧になればわかるように、奥津城自身の現状は単なる藪ですが、造られた当初は、遠くからも点在する古墳の姿を確認できたのはずです。6号墳も7号墳も決して大きな墳墓ではありませんが、6号墳は前述したように丁寧に積み上げられた穹窿式(ドーム型)の石室が印象的で、7号墳は円文が奥壁に描かれている装飾古墳という点で珍しいといえます。冒険心のある方にはお勧めの1基です(撮影2022年12月末)。
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金武古墳群に含まれる夫婦塚古墳は古墳踏査のはじめの頃に訪ねていますが、それ以外の墳墓にも開口する石室がいくつかあると聞き、夫婦塚古墳への再訪を兼ねて出かけることにしました。ところが福岡空港に午前中に着いても、天神3丁目のバス停から古墳群近くの「かなたけの里公園」に行く、金武営業所行のバスは午後は13時15分の一本のみ。「公園」まで1時間ほどかかり、そこから徒歩で夫婦塚古墳経由、金武古墳群を探索するとなると、あまり時間がありません。というのも戻りのバスで適当なのは16時38分しかないのです。日が暮れるのが早く、16時半をまわると辺りは暗く、その後のバスまで真っ暗闇の中で待つ期にはなれません。
もっとも当日は動画冒頭のように天気に恵まれ、農作業をしている親父さんに夫婦塚古墳の位置などを確認しながら先を急ぎました。ほとんど迷うことなく夫婦塚古墳に到着。ここまではよかったのですが、そこからが下調べを入念にしたにもかかわらず、難航しました。古墳とアレさんのブログにあった古墳近くの景色がみつからないのです。焦ります。ようやく古墳群が広がる藪を発見。とりあえず、藪に突入すると、前日までの雨に濡れた落葉が滑って歩きにくいことこのうえもありません。 6号墳と思しきかなり大きな墳丘を見つけ、石室開口部を探します。墳丘の半分は、後世、土取りで削られているということは知っていましたが、その開口部が思っていたより急角度の斜面に、小さく開いていたこともあり、一向にみつかりません。あっちウロウロこっちウロウロ。そうこうしているうちに、石室天井の一部が抜き取られているところを発見。そこからたどっていき、ようやく開口部が見つかりました。
つまらない話をくどくどと申し訳ありませんが、これは備忘録。忘れないうちに何があったかを書き留めておこうということなのでご容赦ください。高所恐怖症なので、右手にカメラを持ち、開口部に近づき、石室に突入するところを撮るのはあきらめました。崖から落ちてしまうと思ったからです。あとから考えると、それほど危険ではなかったような気がするのですが、思い出してもドキドキします。 石室自体は中型の石材を巧みに積んだ穹窿式(ドーム型)で、こじんまりとまとまったもので、なかなか味わい深いものでした。天井の一部が抜き取られ、そこが明り取りになっています。皮肉です。動画の最後にあるように、その穴から普通は見ることのできない角度の奥壁の表情が確認できます。もう1基の7号墳も、さほど苦労せずに、墳丘を確認。土嚢に囲まれた開口部から覗き込むと、円文らしき模様が三つ確認できました。ズームを使って撮ったところ、現地で見たよりもはっきりとその様相が捉えられていました。 6号、7号と予定していた2基を無事に見学でき、時計をみると午後4時近く。バスの時間まで40分ほど。かなり余裕ではと一安心。ここでハプニング、油断したせいでしょうか。下草と落葉に足をとられ、しりもちをつき、カメラも近くに転がってしまいました。幸い、カメラも私の足も無事で、先を急ぎます。ただ、土地勘のない悲しさ。あとでわかったのですが、目指すかなたけの里公園のバス停とは逆の方向に歩いていて、気が付いた時には16時37分のバスまで残り20分しかありません。残念ながら最後は小走りをしたにもかかわらず、予定のバスの後ろ姿を見送ることに。次のバスはたっぷり日が暮れた午後6時代です。と、バスの時刻表をみるとJR姪浜駅行きのバスが30分後には来ることがわかり、ほっと一安心したもののどっと疲れが出ました。
肝心の古墳群ですが、福岡県の北西部に広がる早良(さわら)平野から日向峠を経て糸島平野にかけてのルートは、弥生時代から古墳時代、その後も官道に指定されるなど、交通の要衝だったそうで、今回の2基を含む金武古墳群は、その道沿いに造られています。ご覧になればわかるように、奥津城自身の現状は単なる藪ですが、造られた当初は、遠くからも点在する古墳の姿を確認できたのはずです。6号墳も7号墳も決して大きな墳墓ではありませんが、6号墳は前述したように丁寧に積み上げられた穹窿式(ドーム型)の石室が印象的で、7号墳は円文が奥壁に描かれている装飾古墳という点で珍しいといえます。冒険心のある方にはお勧めの1基です(撮影2022年12月末)。
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