阿蘇の台地に眠る見事な石室
この古墳、その複室構造と穹窿式の石室の素晴らしさもさることながら築造された立地に印象づけられました。阿蘇を訪ねたのははじめてということもあり豊肥線の車窓から見える山脈(やまなみ)が囲むカルデラの巨大さに度肝を抜かれ、ついでそのカルデラの北の端に目指す古墳が築かれていることを確認して二度びっくりです。古墳のある国造神社付近からは今でも活発な火山活動を続ける阿蘇の山々がよく見えます。記録では6C後半の欽明天皇の時代に噴火があったことが記されています。上御倉古墳が造られた時期と重なります。調べたところ1931年に熊本測候所が発行した「阿蘇山噴火史要」に掲載されており、国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧が可能です。
熊本駅から豊肥線に乗り動画冒頭の光景に見とれていると間もなく目指す宮地の駅です。径33mの円墳、上御倉古墳は真北に6㎞進んだ国造神社の境内にあります。最近はバスが途中の阿蘇神社までしか行かないとの事前情報でやむなくタクシーです。雰囲気を味わいたいとだいぶ手前で降りて、坂道を歩きました。グーグルマップでほぼ同じ規模の下御倉古墳(石室は入室できない)の表示があるあたりです(残念ながら時間がなくて訪問できず)。 境内に入ると実にわかりやすい。神社の管理が行き届いていた古墳ファンには申し分のない案内ぶりです。迷うことはありません。肝心の石室ですが、背を屈めればさほど無理なく歩けます。 自分が印象深かったのはキャプションにも書きましたが、羨道の天井の板石の大きさです。動画でその大きさがわりとよく撮れています。勿論、複室構造の後室の穹窿式(ドーム型)の天井もなかなかのものですし、後室半分を占領する落下した石屋形の屋根の大きさにも驚かされました。側壁に用いられた板石の大きさも半端ではありません。石材は凝灰岩や安山岩が用いられているそうですが、近くで調達が可能だとしても、どうやって運び組み立てたのでしょうか。不思議です。見どころ満載の石室です。なお阿蘇ペディアによれば墳丘は径33m、高さ5.28m。石室は全長10.22m、前室長さ2.35m、幅2.5m、後室長さ3.6m幅3.18m、高さは3.7mです(撮影2021年12月23日)。
にほんブログ村
この古墳、その複室構造と穹窿式の石室の素晴らしさもさることながら築造された立地に印象づけられました。阿蘇を訪ねたのははじめてということもあり豊肥線の車窓から見える山脈(やまなみ)が囲むカルデラの巨大さに度肝を抜かれ、ついでそのカルデラの北の端に目指す古墳が築かれていることを確認して二度びっくりです。古墳のある国造神社付近からは今でも活発な火山活動を続ける阿蘇の山々がよく見えます。記録では6C後半の欽明天皇の時代に噴火があったことが記されています。上御倉古墳が造られた時期と重なります。調べたところ1931年に熊本測候所が発行した「阿蘇山噴火史要」に掲載されており、国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧が可能です。
熊本駅から豊肥線に乗り動画冒頭の光景に見とれていると間もなく目指す宮地の駅です。径33mの円墳、上御倉古墳は真北に6㎞進んだ国造神社の境内にあります。最近はバスが途中の阿蘇神社までしか行かないとの事前情報でやむなくタクシーです。雰囲気を味わいたいとだいぶ手前で降りて、坂道を歩きました。グーグルマップでほぼ同じ規模の下御倉古墳(石室は入室できない)の表示があるあたりです(残念ながら時間がなくて訪問できず)。 境内に入ると実にわかりやすい。神社の管理が行き届いていた古墳ファンには申し分のない案内ぶりです。迷うことはありません。肝心の石室ですが、背を屈めればさほど無理なく歩けます。 自分が印象深かったのはキャプションにも書きましたが、羨道の天井の板石の大きさです。動画でその大きさがわりとよく撮れています。勿論、複室構造の後室の穹窿式(ドーム型)の天井もなかなかのものですし、後室半分を占領する落下した石屋形の屋根の大きさにも驚かされました。側壁に用いられた板石の大きさも半端ではありません。石材は凝灰岩や安山岩が用いられているそうですが、近くで調達が可能だとしても、どうやって運び組み立てたのでしょうか。不思議です。見どころ満載の石室です。なお阿蘇ペディアによれば墳丘は径33m、高さ5.28m。石室は全長10.22m、前室長さ2.35m、幅2.5m、後室長さ3.6m幅3.18m、高さは3.7mです(撮影2021年12月23日)。
にほんブログ村