古墳を動画で見るサイト guami_38_36のblog

なんでも実際に見てみないと気が済まない私。古代史初学者として3世紀中頃から7世紀初頭にかけて東北から九州まで造られた多くの古墳の内、墳丘が残り実際に墳頂まで登れるものを訪ねはじめました。2011年秋のことです。既に大いに刺激を受けている先輩方の古墳ブログやHPあります。ただ、なぜこれほど大きな構築物を造られたのかに興味がある私には、大半が静止画像のためにそのスケール感が伝わってきませんでした。偶然、動画で撮ってみたら案外いける。そんな思いで撮りためた古墳動画を見て頂くことにしました。素人の撮影ですから、古墳マニアや専門家の方々からは厳しいご指摘はあるかと思います。ブログでは基本情報とともに一古墳に3-5本程度の動画(各1分以下)を用意しました。この素人の試みが古墳を具体的にイメージする一助となれば幸いです。なお古墳名の次に■がある場合 石室の動画がご覧になれます。

■古墳時代の時期区分
 このブログでは古墳時代を広瀬和雄さん(国立歴史民俗博物館名誉教授)が通説として紹介している古墳時代を前期(3C中頃から4C後半頃)、中期(4C末頃から5C後半頃)、後期(5C末頃から7C初め頃)、終末期(7C前半頃から8C初め頃)に区分して捉えています(前方後円墳の時代、岩波新書、2010年)。
■アップの順番
 前期⇒中期⇒後期(終末期)の古墳を一基ずつワンセットにして全国の古墳を網羅することを目指しています。三基の古墳には何ら有機的な関係はありません。一つの地域に集中して前期から終末期まで掘り下げて見るのが一般的ですが、敢えてそうしなかったのは古墳時代の前期、中期、後期に全国でどのような墳墓が築かれたかを知りたいと思ったからです。古墳の築造年代は専門家の間でも様々な意見があり実年代を確定することが如何に困難なことかは承知しています。そのような限界の下でも古墳を横断的にみると今まで見えてこなかったものが見えてきたような気がします。専門分野外の古墳時代に関心を持ちはじめて日も浅い者ならではの冒険です。
■ご覧になる方法
最新記事9件についてはそのまま下にスクロールすれば見れます。各都府県別古墳は右の一覧をクリックしてください。文中にも関連の古墳に直接飛べるようにリンクを貼ってあります。

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  墳丘の上を歩く、石室の中を観察するというこのブログの趣旨からすれば必ずしも相応しい古墳ではないかもしれません。しかし200mを越える二つの古墳が寄り添うように並んで造られている点はビジュアル的にも見事で濠に沿ってあるく価値は十分にあります。しかも百舌鳥・古市古墳群の大型古墳の周囲とは違い、人の声もはっきり聞こえるほどの静謐さに包まれています。視界を妨げるような建物もまったく見られず別世界に飛び込んだ感じがします。まだ紹介していないより大型の佐紀古墳群の五社神古墳の周辺と比べても、

違いは大きいと思います。墳丘には登れないし、全体を見渡すこともできないという大きなハンディがあるにもかかわらず、是非、一度は足を運んで頂きたい古墳です。

 それにしても道路一つ隔てて二つの、いや今回紹介していない佐紀高塚古墳を入れれば三基がジグゾーパズルのように入り組んでいるわけですが、どのような理由があるのでしょう。専門家の調査によれば陵山古墳の後円部をよけるようにして石塚山古墳が造られたために濠が細くなっているそうです。このことから陵山のほうが先に造られたことがわかっています。繰り返しますが残念なことに全体を見渡すことはまったくできませんが、せめて動画1で二基の古墳の寄り添う姿をご確認ください。

 なお佐紀古墳群では既に瓢箪山古墳塩塚古墳(クリックすれば飛べます)を紹介しています。是非、合わせてご覧ください。略図に今回の古墳と他の佐紀古墳群の位置関係を示してあります。近鉄平城駅から徒歩10分です。(撮影2016118日)。
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名古屋市の中心熱田神宮には愛知県で最大墳長を誇る151mの前方後円墳断夫山古墳があります。しかし6C後半の築造の後期古墳。前期古墳ではそこから北東方向に30㎞ほど行った標高198mの東谷山(とうごくさん)の麓に墳長115mの白鳥塚古墳があります。(犬山市に墳長123mの前期古墳青塚古墳があるので白鳥塚は県下では第二位の大きさ)。

 東谷山麓には数多くの古墳が築かれ、白鳥塚古墳はじめ山頂の尾張戸(おわりべ)神社古墳、中社古墳、南社古墳、志段味(しだみ)大塚古墳、勝手塚古墳、東谷山白鳥古墳などが国の史跡に指定され地名を冠し志段味古墳群と呼ばれています。それにしても地名をどう読むか戸惑うことが多いですね。

 目指す白鳥塚古墳はJR高倉寺駅からさほど遠くないところにありました。南下し庄内川を渡ると愛知県立大学の守山キャンパスの校舎が見え、道を挟んだところに古墳公園として整備されています。すぐ気が付いたのは(動画1)前方部の高さが後円部のそれよりもずっと低いことでした。前方部の幅も後円部径よりもぐんと狭く後円部径75mに対して40mしかありません。前期古墳だなとすぐにわかります。

後円部に登ってみると埋葬施設が図示されているのかと勘違いした石英の石片が円形状に並べられていました。埋葬施設がないわけはないと思うのですが発掘調査が近年は行われていないのでよくわからないそうです。とはいえ白鳥の名は墳頂が石英の小礫で覆われたからともいわれています。墳頂以外の墳丘全体は川原石で覆われていたようでかなり葺石は残っていますし、くびれ近くの部分は動画2にあるように復元され、全体をイメージするのに役立ちます。

 白鳥塚こふんと同様に4C央から後半の築造と考えられているこれまでアップした古墳をいくつか紹介しておきます。佐賀県の金立銚子塚古墳(以下、いずれも古墳名をクリックすれば飛べます)、岐阜県の昼飯大塚古墳、山梨県の甲斐銚子塚古墳、山形県稲荷森古墳などがあげられます。いずれも墳長100mを越えるかやや欠ける規模のもので大型といってよいと思います。比較してご覧ください。アクセスは冒頭に記したとおりです(撮影2017314日)。

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白鳥塚古墳基本データ

所在地 愛知県名古屋市守山区

形状 前方後円墳

規模 墳長115m、後円部径75m高さ約15.2m(北)12.6m、前方部幅40m 高さ6.7m(北)5m(南) 後円部三段、前方部二段 葺石あり

築造時期 4C

出土品 不明

史跡指定 国指定

特記事項 なし



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  これまでさきたま古墳群を一基ずつ紹介してきましたが、今回は群の南側(博物館を右手に見た奥)の三基をまとめて見ていただこうと思います(図参照)。さきたま古墳群といえば、観光客はじめ古墳マニアが多数訪れる古墳群として有名です。とりわけ日本最古の文字資料ともいえる金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳には多くの人が墳丘目指して列をなしています。ついで墳丘の後円部が展示館になっている将軍山古墳、巨大な円墳の丸墓山古墳も人気です。丸墓山古墳の動画でおわかりのように墳頂からは古墳群の半分ほどの地域を見渡すことができます。さらに古墳群は南に広がっており、そこから愛宕山、奥の山、鉄砲山の三基の前方後円墳を取り上げます。残念ながら県立さきたま史跡の博物館(国宝の鉄剣を展示)を見ると満足する人々が多いのか、こちらの三基には人がほとんどいません。見応えがある墳丘なのに勿体ないですね。

肝心の築造時期ですが、6C、前半の愛宕山、中頃の奥の山、後半の鉄砲山の順で造られたと考えられています。近畿地方では次第に前方後円墳の築造は下火になった頃、すでにどこかで触れたように、東国では盛んに造られ、その一例が今回の三基になります。とりわけ鉄砲山の墳丘は109mと大型です。すでにアップした120m稲荷山(以下古墳名をクリックすれば当該頁に飛べます)、135m二子山を加えるとさきたま古墳群には5Cの終わりから6Cにかけて三基もの大型墳が造られていることになります。しかも径100mもある円墳 丸墓山もその間に造られているのです。ただただ驚きます。

今回の三基を含め墳丘周囲には二重の濠が巡っていたことがわかっています。二子山の濠は一度目の訪問時には水があり、墳丘が浮かんでいるように見え美しかったのですが、築造時は空堀であったこと、水が墳丘裾を削ってしまうことから本来の水なしの濠として復元されています。また、後期の前方後円墳に見られる前方部の発達はいずれの古墳にもみられます。後円部径よりも前方部幅が広く、高さも前方部のほうが後円部より高くなっています。なお今回の三基については他の古墳とは異なり、あったはずの造出しは復元されていません(愛宕山はなし)。

アクセスは公共交通機関の場合いくつかあります。さきたま古墳公園のHPに詳しいルートが紹介されています。行田駅から市内循環バスが一番便利ですが本数が少なく、二度目は本数が多いJR吹上駅から朝日バスで佐間経由 行田折返し場・総合教育センター・行田工業団地行に乗り産業道路で下車。徒歩15分のルートを使いました(撮影2015714日、201631日)

古墳踏査を重ねて気がついたことは多数の古墳を保存した大型の古墳公園は意外なことに関西よりは関東や九州に多いことです。さきたま古墳群に加え群馬県高崎市の保渡田古墳群(かみつけの里古墳公園)、群馬県前橋市の大室古墳群が特におすすめです。
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愛宕山古墳、奥の山古墳、鉄砲山古墳(さきたま古墳群6)基本データ

所在地 埼玉県行田市

形状 前方後円墳

規模 愛宕山古墳 墳長53m、後円部径30m 高さ3.4m、前方部幅30m 高さ3.3

奥の山古墳 墳長70m、後円部径43m 高さ6.8m 前方部幅47m 高さ7.4m、鉄砲山古墳 墳長109m 後円部径55m 高さ9.0m、前方部幅69m 高さ10.1m

築造時期 愛宕山 6C前、奥の山6C央、鉄砲山6C

出土品 愛宕山古墳 円筒、形象埴輪、奥の山古墳 円筒、形象埴輪、鉄砲山古墳 円筒埴輪、須恵器、土師器

史跡指定 さきたま古墳群として国指定

特記事項 各古墳には盾形の二重周濠が巡っている。



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 JR小松駅から小松バス国府台行きで30分ほど。小松市東部に開発された工業団地を通り住宅団地の中にある国府台バス停から徒歩で10分ほどで目指す河田山(こうだやま)古墳群史跡資料館はありました。開発で60基を越える古墳の大半は消滅し、そのうちの二基は資料館裏手の古墳公園に現状保存され、移築復元された12号墳と資料館内に33号墳の石室が残されています。開発された住宅団地は7-8㎞先に日本海を臨む標高4-50mのところにあり古墳を築くには絶好の地であったことはよくわかります。

 自然に任せた公園内の雑木林のなかに眠る1号墳、9号墳は墳丘がよく確認できず動画では紹介できません。他方、きれいに復元された方墳の12号墳ですが数十m先の道路建設現場から基盤ごと移築されたもので天井はアーチ形をしていたのではないかと考えられています。類例が国内にはなく朝鮮半島の影響ともいわれているようです(天井部分が完全に崩落していたために横壁の切石の組み方から推定)。一辺15mと小規模な古墳に完成度の高い切石が使われているというのは被葬者の力の大きさを偲ばせます。残存する横壁と奥壁はコンクリート製の天井がアーチ型になった上屋で覆われています。やや不思議な感じがする空間です。動画1の最後でおわかりのように墳丘が崩れてこないようにとぐるっと外護列石と呼ばれる石が回っています。既に紹介した終末期古墳 中山荘園古墳(クリックすれば飛べます)と同様です。動画最後の静止画像の石室内説明板には、「この部分に注目 天井がアーチ状になるように切り石を加工した全国的にも珍しい石室です」

また動画3では資料館に石室が保存されている河田山33号墳を紹介しています。玄室と羨道の間の仕切り石の役割でしょうか。しきみ石と呼ばれる石が横たわっているのが印象的です。アクセスは冒頭に書いたとおりですが本数は午前、午後2本程度と少ないのでご注意ください。バス停下車後資料館までの道順はわかりやすいです(撮影2016111日)。




河田山12号墳と33号墳基本データ

所在地 石川県小松市国府台

形状 12号墳 方墳 33号墳 不明

規模 12号墳一辺15m 33号墳 不明

石室 12号墳 奥行5m 幅2.2m33号墳 奥行3.26m 幅2m

築造時期 7C

出土品 不明

史跡指定 なし

特記事項 なし


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  琵琶湖の南端、膳所から1㎞ほどの丘陵に築かれた前方後円墳 膳所社臼山古墳を訪れるのは二度目です。古墳踏査をはじめて間もないころに訪問した際には基礎的な知識も十分でなかったこともあり雑木が鬱蒼と立ち並ぶ墳丘はただの山にしか見えませんでした。しかも調べてみると古墳が築かれた丘陵先端は標高145mもあり、公園入口からは結構な登坂が続き、折角歩いたのにと苦い思いで古墳を後にした記憶があります。

再訪した201510月中旬も緑濃い状況は変わりませんでしたが、多少知識も増えたせいでしょうか、墳丘はよく残っているとの説明板どおり確認できた気がします。動画2のくびれから前方部に向かうところでは墳丘の高まりがよくわかりますし、動画1の後円部に登った先には壬申の乱の敗者、大友皇子及びお供の者を供養する小さな祠がまつられています。二か所の階段から登ることのできる墳丘には本来葺石が葺かれていたことがわかっています。木々がなければ琵琶湖をのぞむことができたでしょうし、湖からもキラキラ光る葺石に覆われた丘陵先端の古墳が見えたはずです。

肝心の墳長はじめ基本データは現地案内板の数字と近藤義郎他編 前方後円墳集成(山川出版社、1992年)ではかなり異なります。集成のほうが新しい調査を基にしているのでこちらを採用しています。前方部の高さは後円部より3m低い5m、前方部の幅も後円部径60mよりずっと狭い40m、動画撮影位置の図でわかるように墳丘は柄鏡形と典型的な前期前方後円墳の様相を呈しています。アクセスはJR膳所駅下車。東海道線に並行して走る国道1号線を1㎞ほど南下し秋葉台の信号を右折するとすぐに茶臼山公園の入り口があります(撮影20151013日)。
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膳所茶臼山基本データ

所在地 滋賀県大津市膳所平生町秋葉台

形状 前方後円墳

規模 墳長120m、後円部径60m 高さ8m、前方部幅30m 高さ5m

葺石あり

築造時期 4C

出土品 円筒埴輪

史跡指定 県指定

特記事項 後円部頂に壬申の乱で敗れた大友皇子らを祀る祠がある



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今回の後期古墳は既に紹介した江田船山古墳と同じ熊本県和水町にある塚坊主古墳と虚空蔵塚古墳です。江田船山古墳のあと6C初め頃に築かれたと考えられる前方後円墳です。文字が銀象嵌された鉄剣が出土したことで有名な江田船山古墳に対して、塚坊主古墳は石室内の石屋形の壁に描かれた赤、白の円や三角の模様で知られています。ラッキーなことに春、夏二回の公開日にしか入室できない石室なのに墳丘に近づくと扉が開いているではありませんか。覗いてみるとボランティアの方がどうぞどうぞと招き入れてくれました。教育委員会関係の視察がこれからあるそうで早めに開けたとのこと。こういうこともあるのですね。

肝心の石室ですがガラス越しの見学です。動画1にあるように石室は天井部分が完全に失われていますが、中にある石屋形の奥壁に確かに模様が描かれていることがわかります。とはいえ残念ながらぼんやりしています。これ以上の照明は保存の観点からすれば難しいのでしょう。模様が描かれた石屋形は板石で囲った遺体を葬る場所のことですが、福岡県八女市の童男山1号墳の動画でよくわかります(古墳名をクリックすれば飛べます)。もっとも模様は書かれていません。九州でよくみられる埋葬施設だそうです。周濠がめぐる墳丘は長さ43.4m、後円部径29.6mに対して前方部幅は20m。前方部が短い帆立貝形古墳のようです。銅鏡(四獣鏡)、金環、銀環、馬具、直刀などが出土しています。

動画3で紹介するのは墳丘のみそれも後円部の一部以外は破壊されていたため復元された虚空蔵塚古墳です。こちらも帆立貝形の墳長44mの前方後円墳です。外形調査で円筒埴輪、人物埴輪が確認されています。埋葬施設は未調査のため不明だそうですが塚坊主古墳と同様の横穴石室が存在するのでしょうか。江田船山古墳と二つの古墳は古墳公園として整備されています。二度訪れましたが芝はきれいに刈り込まれ気持ちのよい見学となりました。アクセスはJR玉名駅から1-2時間に1本出てる産交バスに乗り菊水ロマン館下車徒歩5分。

道路沿いに大きな看板があります(撮影日2016年10月25日)



塚坊主古墳と虚空蔵塚古墳基本データ

所在地 熊本県和水町江田

規模 塚坊主古墳長さ43.4m、後円部径29.6m 高さ5.5m6m、前方部幅20m 高さ不明 周濠あり。虚空蔵塚 長さ44m。虚空蔵塚古墳 墳長44.5m、後円部径32m 高さ7m、前方部幅27m 高さ不明。二段築成。周濠あり。

築造時期 6C

出土品 塚坊主古墳 銅鏡(四獣鏡)、金環、銀環、馬具、直刀 虚空蔵塚古墳 円筒、人物埴輪

特記事項 なし


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  今回紹介するのは島根県出雲市、JR山陰本線西出雲から歩いて20分ほどのところにある日蓮宗の古刹 妙蓮寺の裏山にある古墳です。駅の南東に走る県道277号に出て北に1㎞ほど歩き下古志の信号の一つ先を右折すると動画4の冒頭の光景が見えます。墳長49mの前方後円墳は6C中頃に造られたと考えられています。後円部を北に向け前方部がかなり高くなっています。ただ動画4でおわかりのように墳丘の形は初夏ということもあって草におおわれよくわかりません。妙蓮寺山古墳が知られているのはくびれ近くの後円部に開口する横穴石室及び石棺です。

 このブログではかなり多くの横穴石室を紹介していますが今回ほど入室するのに勇気がいったのは初めてでした。薄気味悪いのです。入口には動画1にあるように観音開きになった板石が左右に立ち、その扉石を支えるかのように円柱状の石が転がっています。入らないでくれと言わんばかりです。中は真っ暗で見通しが効きません。雨のせいでぬかるんで足がとられます。ヘッドライトの光線の先にあったのは動画2でご覧になれますがぼんやりと浮かび上がる石棺でした。かなり窮屈な印象です。調べてみると玄室の幅は2.1mしかありません。高さは2.4m、長さは4.4mの玄室に幅1.2m×高さ1.4m×長さ2.2mの石棺が眠っていました。

 これまで紹介してきた出雲市の横穴石室と石棺と比べると、そのバランスは宝塚古墳(クリックすれば飛べます)とよく似ている印象です。同じ横口石棺のある今市大念寺古墳(クリックすれば飛べます)よりははるかに規模が小さく、実際、前方後円墳としての墳長も92mと丁度妙蓮寺山の二倍でした。ただ既に説明したように入口に据えられた観音開き風の二枚の板石と円柱のつっかえ棒のような石際立って目立ちます。どのような意図があったのでしょう。被葬者を葬った後に残された人々の意志だったのでしょうか。興味は尽きませんが出雲市の妙蓮寺山古墳パンフレットには「珍しい構造になっています」としか書かれていません。出土品はかなり多く玄室内からガラス製の丸玉、金銅製の鈴釧、鉄製銀象嵌円頭柄頭、須恵器などが発掘されており、その内容は今市大念寺古墳と類似する点が多く、同古墳に次ぐ有力な首長の墓ではないかと考えられているようです(前述パンフレット)。アクセスは冒頭に書いたようにわかりやすいです。境内に入ったあと墓地を抜ける必要がありますが案内板があるので迷うことはないと思います(撮影2016512日)。



妙蓮寺山古墳基本データ

所在地 島根県出雲市下古志

形状 前方後円墳

規模 墳長49m、後円部径25m 高さ4.5m、前方部幅22m 高さ7.5m

石棺

築造時期 6C

出土品  ガラス製の丸玉、金銅製の鈴釧、鉄製銀象嵌円頭柄頭、辻金具、鉄斧、鉄鏃、須恵器

墳丘から円筒埴輪

史跡指定 県指定

特記事項 横口式石棺 長さ220m 幅1.20m 高さ1.10m(縄掛け突起あるも確認できず)


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  百舌鳥古墳群は仁徳天皇陵(大仙古墳)、履中天皇陵(石津ヶ丘古墳)など超大型の古墳が多く、また宮内庁がそれらを天皇陵としているために拝所やビルの谷間に見え隠れする姿を眺めるだけで近づくことすら叶いません。もっとも陵墓指定されていない他の前方後円墳も数多くありますし、円墳、方墳を合わせると100基以上が百舌鳥古墳群を形成していたそうです。現在では44基が残されています。これ以下の記述の事実関係は最近知った久世仁士さんの「百舌鳥古墳群をあるく」(創元社、2014)によっています。単なるガイドブックではなく考古学者としての著者の古墳保存のあり方など共感する部分がかなりありました。

 古市古墳群に比べ墳丘を間近に見ることのできる古墳は百舌鳥古墳群は非常に少ないです。しかも今回ご紹介する旗塚古墳、銭塚古墳、グワショウ坊古墳ともに原形からはかなり遠い形での保存になっています。とはいえ動画1と2に見る旗塚古墳の周囲にめぐる濠越しに見る墳丘は短い前方部と後円部の対比がよくわかります。墳長58m、後円部径42mと中規模の帆立貝型前方後円墳です。ところが動画のキャプションにも書きましたが堺市の都市緑化植物園の実験林として墳丘が用いられてきたために樹木が密生し墳形を確認することはできないのです。しかも墳丘下部は崩落防止のためでしょうか石垣が巡っており、これでは古墳の形をした山にしかみえません。久世さんも指摘されているように旗塚とグワショウ坊の古墳は、古墳名を記した石柱はありますが考古学的な説明板はありません。実に不思議です。旗塚古墳は円筒埴輪に加え朝顔、衣笠のような形象埴輪、そして石見型埴輪と呼ばれる盾形をした埴輪が出土した点で貴重だそうですが、ならばなおさらのこと史跡としての説明が必要です。兵庫県伊丹市の御願塚古墳(クリックすれば飛べます)がほぼ同じの墳長52mですから比較するには適当だと思われます。だいぶ保存状況は異なります。

 グワショウ坊古墳は径62mと百舌鳥古墳群中二番目の大きさですが削られた墳丘上にはうっそうと実験林が広がりとても古墳とは思えません。動画を撮る気力さえ失せてしまいました。様々な歴史的経緯があるのでしょうが残念の一言です。この二つの古墳から道を挟んだ大阪府立堺特別支援学校の校庭にある銭塚古墳は綺麗に整形された墳丘の裾周りをみて一瞬円墳かと思いました。調べてみると元は墳長72.5mの帆立貝型の前方後円墳で現在は学校建設のために前方部は削平されてしまったとのこと。旗塚よりも一回り大きな帆立貝型前方後円墳でありなんとか保存できなかったかと思うばかりです。皆さんはどう思われますか

これまでアップした百舌鳥古墳群は仁徳天皇陵(大仙古墳)、履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)、いたすけ古墳御廟山古墳です。いずれも古墳名をクリックすれば直接飛べます。アクセスはJR阪和線百舌鳥駅下車。仁徳天皇陵とは反対の南西方向に5分ほど歩くと右手に大きな公園が見えます。その中にあります。銭塚は道を挟んだところにみえます(撮影2017220日、2014125日)。
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旗塚古墳他 基本データ

所在地 大阪府堺市

形状 前方後円墳(帆立貝形)グワショウ坊 円墳、銭塚(帆立貝型形)

規模 墳長58m 後円部径41m 高さ不明、前方部幅25m 高さ不明

グワショウ坊 円墳 径61m 高さ不明、銭塚(帆立貝型前方後円墳)

墳長 72.5m、後円部径54m 高さ不明、前方部幅不明 高さ不明

築造時期 旗塚 5C央、グワショウ坊 5C後、銭塚 5C

史跡指定 百舌鳥古墳群として国指定

特記事項 なし


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 全国で前方後円墳が最も多く築かれたのはどこの県でしょう。ご存知の方も多いと思いますが今回その一基を紹介する千葉県が733基と第一位なのです。ついで群馬の455基、茨城が391と東国が続きます。多そうに見える奈良県は312基、大阪府は202基にとどまります。千葉県教育委員会の白井久美子さんによれば、このブログでも見てきたように関東では前期は前方後方墳が多数豪族の墓として採用される一方、近畿では前方後円墳がほとんど造られなくなった6C後半以降盛んに築かれていると指摘しています(「前方後円墳の理解」、千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 20142月)。その理由を白井さんは東北進出というヤマト王権の命題に呼応したためとみています。とても興味深い指摘でこのブログでも東国の古墳を紹介するときには頭に置いておきたいと思いました。

 肝心の今回の公津原古墳群ですが図の1にあるように三つの支群からなっています。JR成田線の成田湯川駅から南方向に歩くと八代台古墳群、天王塚・船塚古墳群、それに今回の最も南にある瓢塚古墳群が4㎞ほどの間に点在しています。元は公津原古墳群全体では120基を超える古墳があったようですが現在は38基余りが県の史跡に指定され住宅や公園の中に眠っています。既に方墳の大型墳船塚古墳(クリックすれば飛べます)を紹介しています。この地域は千葉県の北部に位置し、手賀沼・印旛沼周辺には既に紹介した巨大な方墳、龍角寺岩屋古墳や我孫子市の水神山古墳(クリックすれば飛べます)を含め多数の古墳が残されています。

 成田ニュータウンの造成に合わせて今回の公津原古墳群は復元整備されたようで住宅が密集するなかに古墳が溶け込んでいることに感心しました。いずれ紹介する団地や小学校の校庭のなかにも古墳が残され間近にみることができます。

 公津原3号墳は墳長45mと小ぶりですが前方部が未発達の前期古墳の特徴がよく残されています。天候に恵まれたこともあり南側からみる稜線の美しさが印象的でした。周濠の残存状況にも驚かされました。アクセスは成田湯川駅から徒歩をお勧めします。4-5時間あればゆっくりまわれます。撮影(20161231日)。
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公津原3号墳(瓢塚)基本データ

所在地 千葉県成田市加良部

形状 前方後円墳 周濠

規模 墳長45m、後円部径21m 高さ6m、前方部幅15m 高さ4m

1号墳 径25m 高さ2m2号墳 径23m 高さ2m

築造時期 4C

出土品 不明

史跡指定 県指定

特記事項 なし




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