にほんブログ村
潮崎山古墳(福山市)(広島県)(前期)Shiozakiyama Tumulus,Hiroshima Pref.
にほんブログ村
古墳にワクワク(旧古墳を動画で見るサイト)へようこそ。なんでも実際に見てみないと気が済まない私。古代史ファンとして3世紀中頃から7世紀初頭に東北から九州まで造られた数多くの古墳の内、墳丘が残り実際に登れるものを訪ねはじめたのは2011年秋のことです。その間、偶然動画で撮った長野県千曲市の森将軍塚古墳が転機になりました。墳丘のスケールや石室の空間を味わうには動画が最適。そんな思いから撮りためたものを見て頂くことにしました。素人ですから古墳マニアの先輩諸氏や専門家の方々からは厳しいご指摘はあるかと思います。基本情報に加え一古墳につき1の動画(2-4分)を用意しました。なお以前は短い複数の動画を用意しましたが統合版として1本にする作業を行っています。この試みが古墳を具体的にイメージする一助となれば幸いです。
これはびっくりです。事前にかなりユニークな古墳ということは知っていましたが、これほどとは。墳丘が八角墳という点でも個性的ですが、棺を入れる板石を組み合わせた石槨(部屋)が一つではなく、二つ、いや三つもあるという点が驚きです。被葬者はあらかじめ自分を含め、だれがどこに入るか決めておいたのでしょうか。これだけの複雑な構造の古墳を築くことができたということは、大変な有力者であったにちがいありません。上からみると中央、左右(東西)の石槨に羨道を加えた石室全体が十字になるため、昔から十字塚と呼ばれてきたそうです。簡単なイメージ図を下に書いておきましたのでご覧ください。それにしても標高193mの尾根の先端ですから、見晴らしのよさは半端ではありません。動画では最初の方と、翌日再訪した際の谷の向こうに雲がたなびく様子を紹介しています。
石槨が三つというのにも驚かされましたが、墳丘も八角墳という点にもびっくりです。奈良県の舒明天皇陵(段の塚)古墳(クリック)、中尾山古墳(クリック)等の大王墓クラス、群馬県の三津屋古墳(クリック)、山梨県の経塚古墳(クリック)、兵庫県の中山荘園古墳(クリック)首長墓と数は極めて限られているからです。これだけでも、被葬者がかなりの有力者だったということが想像されます。残念ながら、これだけユニークな古墳なので、徹底的に盗掘されていたようで、1984年、2002年から2007年の調査でも、若干の鉄器と須恵器が検出されているにすぎません。
造られた時期は7C後半。7Cといえば、国内では大化の改新を経て壬申の乱があり、対外的には百済と組んだ日本は唐と新羅に大敗を喫した激動の時代です。この古墳の被葬者も播磨にあって、それら大きな出来事に何らかの形でかかわった有力者だったのでしょうか。アクセスは大変不便です。ただ、google mapはこの古墳に関してはかなり正確です。JR福塩線の新市駅から北にあがった新市町常にあります。動画冒頭のところに標識が見え、古墳まで一気に登れます。バスはなく今回はタクシーを利用しました(撮影2020年3月9日、10日)。
石室だけでなく基壇状の土留めをお見逃しなく!