築造当時に復元された墳丘、3室もある横穴石室、
古墳マニアも納得の逸品
古墳踏査で出会う古墳には考古学的観点はもちろん、様々な観点からの分類が可能です。遠目に見て墳丘が確認できるものの中には、築造当時のように復元されたものから、半ば、藪のなかに放置されっぱなしのものまで、多様です。埋葬施設も、調査が行われていないものが大半ですが、盗掘でしょうか、破壊されつくし、石室もつぶされ古墳とはいえないようのないものも数多くあります。他方、中には、調査がきちんと行われ、石室や粘土槨等の埋葬施設の詳細がわかり、副葬品まで明らかになるものもあります。ただ、調査の結果、そのまま埋め戻されるケースも少なくありません。 そうした前提からすると、今回の川合次郎兵衛塚1号墳は、古墳自身にとっても、一般の人々にとっても、とんでもなくラッキーな古墳といえます。発掘調査後、川原石で覆われていた墳丘を復元し、損傷が激しかった主室、副室を含め整備し、出土品を含め公開されているからです。もちろん、近年の災害時の損傷から、石室内への立ち入りが制限されていることは残念の一言ですが、それでもライトアップされた石室内から、その素晴らしさを確認することはできます。
この墳丘、石室内、すべてにおいての主役は川原石ですが、パンフレットによれば、可児市から一宮市にかけての木曽川中流域両岸に数多くみられ、主室の副室構造も、同様の傾向にあるということです。こうしたことから、当時の川合地区の人々は密接につながっていたものと考えられるとしています。なるほどと思いましたが、ならば、一宮市に似たような古墳があり、川合次郎兵衛塚1号墳のように整備され見学可能なものがあるか調べてみました。残念ながら、そうした古墳は残されていないようです。
この古墳には、「目隠ししないで」とタイトルにつけた長塚古墳(クリック)から、テクテク4㎞ほど古墳のある川合地区センターまで歩きました。記憶では4度ほど、道を聞いた気がします。1時間近くかかった気がします。平地なうえに、周辺は都会の住宅街と変わらぬ景色が広がっています。墳丘の高さも低く、遠くから古墳が見えるというわけではないからです。それでもようやく見つけた時には、思わず「おっ」と声が出ました。結構な幅(8mのようだ)の周濠がまわる墳丘は一辺、約30mの方墳ですが、はるかに大きくみえます。高さは6m、2段築成の墳丘南側には、主室を挟み東西に副室がおかれるという、大掛かりなものです。特に長さ15.5mの主室は前室、後室からなる複室構造で、かなり大きな感じを受けます。前室は格子戸から、その全体を見ることはできますが、後室(玄室)については、玄門のまぐさ石に大きな亀裂が入ったために補強されています。玄門周りから一部分みえる奥壁は、前室とは違い、表面を平滑した割石を用いているようです。高さ2.6mの後室。「見たかった」の一言です。子供を埋葬したと思われる東副室はともかく、西副室のほうは、奥壁のデザインが見事で、何度見ても飽きません。可児市には、熊野古墳(クリック)、長塚古墳、それに今回の川合次郎兵衛塚1号墳と見応えのある古墳が多いですね。撮影(2022年11月中旬)。
古墳マニアも納得の逸品
古墳踏査で出会う古墳には考古学的観点はもちろん、様々な観点からの分類が可能です。遠目に見て墳丘が確認できるものの中には、築造当時のように復元されたものから、半ば、藪のなかに放置されっぱなしのものまで、多様です。埋葬施設も、調査が行われていないものが大半ですが、盗掘でしょうか、破壊されつくし、石室もつぶされ古墳とはいえないようのないものも数多くあります。他方、中には、調査がきちんと行われ、石室や粘土槨等の埋葬施設の詳細がわかり、副葬品まで明らかになるものもあります。ただ、調査の結果、そのまま埋め戻されるケースも少なくありません。 そうした前提からすると、今回の川合次郎兵衛塚1号墳は、古墳自身にとっても、一般の人々にとっても、とんでもなくラッキーな古墳といえます。発掘調査後、川原石で覆われていた墳丘を復元し、損傷が激しかった主室、副室を含め整備し、出土品を含め公開されているからです。もちろん、近年の災害時の損傷から、石室内への立ち入りが制限されていることは残念の一言ですが、それでもライトアップされた石室内から、その素晴らしさを確認することはできます。
この墳丘、石室内、すべてにおいての主役は川原石ですが、パンフレットによれば、可児市から一宮市にかけての木曽川中流域両岸に数多くみられ、主室の副室構造も、同様の傾向にあるということです。こうしたことから、当時の川合地区の人々は密接につながっていたものと考えられるとしています。なるほどと思いましたが、ならば、一宮市に似たような古墳があり、川合次郎兵衛塚1号墳のように整備され見学可能なものがあるか調べてみました。残念ながら、そうした古墳は残されていないようです。
この古墳には、「目隠ししないで」とタイトルにつけた長塚古墳(クリック)から、テクテク4㎞ほど古墳のある川合地区センターまで歩きました。記憶では4度ほど、道を聞いた気がします。1時間近くかかった気がします。平地なうえに、周辺は都会の住宅街と変わらぬ景色が広がっています。墳丘の高さも低く、遠くから古墳が見えるというわけではないからです。それでもようやく見つけた時には、思わず「おっ」と声が出ました。結構な幅(8mのようだ)の周濠がまわる墳丘は一辺、約30mの方墳ですが、はるかに大きくみえます。高さは6m、2段築成の墳丘南側には、主室を挟み東西に副室がおかれるという、大掛かりなものです。特に長さ15.5mの主室は前室、後室からなる複室構造で、かなり大きな感じを受けます。前室は格子戸から、その全体を見ることはできますが、後室(玄室)については、玄門のまぐさ石に大きな亀裂が入ったために補強されています。玄門周りから一部分みえる奥壁は、前室とは違い、表面を平滑した割石を用いているようです。高さ2.6mの後室。「見たかった」の一言です。子供を埋葬したと思われる東副室はともかく、西副室のほうは、奥壁のデザインが見事で、何度見ても飽きません。可児市には、熊野古墳(クリック)、長塚古墳、それに今回の川合次郎兵衛塚1号墳と見応えのある古墳が多いですね。撮影(2022年11月中旬)。