やや玄人向きでしょうか・・・
大阪府と奈良県の境の標高60mから180mの山麓に古墳時代後期に数多くの群集墳が築かれています。高安千塚古墳群もその一つで、現在確認されているだけで230基もあります。古墳の被葬者はわかっていないことが多いのですが、今回は例外のようです。78号、93号の2基を含め、これら古墳群の眼下には、現在の大阪市街が広がります。仏教も伝来していた古墳時代の後期、6Cには、河内湖から河内平野となったこの地に、大陸や朝鮮半島から多数の渡来人が居住し、当時の最先端の技術や文化を広める役割を果たしていました。古墳群の被葬者は、蘇我氏や物部氏など有力氏族と関係が深った渡来系の人々の墓ではないかとみられています(八尾市HP)。
今回の2基の内、78号は八尾市高安千塚古墳群の散策ルート中に、お勧め古墳として記されています。最も残りのよい服部川7号墳(クリック)や二室塚古墳(25号墳)(クリック)から東にさらに上ったところにあります。動画冒頭にある大きな石材が目印です。93号は、78号から北に100mほど上りますが、周囲は疎林のなかにところどころ藪があるといった状態。私は八尾市のHPにある、『史跡高安千塚古墳群保存活用計画』の服部川支群の古墳群詳細マップ等を参考にしました。墳丘や石室の現状と規模も記されていて便利ですが、残念なことに石室の場合、全体の長さだけで、玄室の長さ、幅、高さは記されていません。したがって動画キャプションはあくまで目安です。
この2基は、古墳群の中では中規模で、もし石室が完存していたらさぞかし見応えがあったのではないかと思います。2基とも、石室に欠損がみられます。78号はほとんど羨道が削られ、いきなり部厚い玄室天井石が迎えてくれ、その迫力にびっくりさせられます。他方、93号は、奥壁の石材の半分以上が抜かれており、後世に造られた墳丘裾の石垣が異様に立派で、古墳時代のものと勘違いされる可能性があります。いずれ本格的な整備の際には撤去してほしいものです(撮影2022年2月初旬)。
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