徳島県最古の前方後円墳


   墳丘のある丘陵から50mほど下ったところを流れる鮎喰川沿いには数多くの古墳が築かれたようで宮谷古墳はその中でも最古、3C後半から末にかけて造られたと考えられています。墳長は37.5m、後円部径は25mに対して前方部長さはその半分の12.5m、幅は15.5mに留まっています。前方部がバチ型に開いている感じもします。いずれにせよ帆立貝形ほどではありませんが前方部が短いのが特徴です。その前方部先端斜面からは三枚の三角縁神獣鏡が出土しておりヤマト王権とのつながりを感じさせます(四国では他に香川県の西山古墳、奥三号古墳からのみ出土)。同時期に築かれた古墳はこの地域では確認されていないという点でも地方の豪族クラスの中でも頭一つ越えた存在であったに違いありません。

   それにしても住宅に囲まれた古墳を数多く見てきた者からすると阿波史跡公園として墳丘周辺も整備された宮谷古墳は被葬者を含め実に幸せといってよいと思います。動画からおわかりのように丘陵先端にあるために鮎喰川をはさんで徳島市方面の山並みが目に飛び込んできます。アクセスは矢野古墳のある徳島市立考古資料館(JR徳島線府中(こう)駅から徒歩30分)を出て200mほど南に下ると八倉比売神社の大鳥居が見え、それを右折するともう阿波史跡公園です。緑に囲まれた結構な登坂が続きあらためて古墳は気延山先端の丘陵に築かれているという記述を思い出しました。実は宮谷古墳の後に訪ねた円墳と方墳はより山奥にあり、林の中を歩き長い長い石段の続く八倉比売神社の裏山にありました。いずれ紹介します(撮影20191月15日)。

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宮谷古墳基本データ

所在地 徳島県徳島市国府町

形状 前方後円墳

規模 墳長37.5m 後円部径25m 高さ3m、前方部幅15.5m 高さ不明

築造時期 3C後半から末

出土品 三角縁神獣鏡3面

史跡指定 徳島市指定

特記事項 後円部の埋葬施設は6m×1.3mの石室に長さ5.3mの割竹形

木棺が安置されていた


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