要注目の常陸の前期前方後円墳
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今回紹介する前期古墳は茨城県常陸太田市の梵天山古墳群の主墳、梵天山古墳です。同じ茨城県石岡市の舟塚山古墳(クリック)は墳長184mと県内最大の古墳でしたが、こちらは墳長151mと第2位です。ただ築造時期は梵天山古墳の方がはるかに古く前方部が未発達等墳丘の形状からそのように考えられています(常陸太田市の説明板は不思議なことに5C半ばと中期の築造を示唆しています)。巨大な後円部に対して、前方部は細く伸びていて端にいくにしたがってやや広がっています。その特徴が動画からわかればよいのですが・・・。少なくとも中期の前方部幅が後円部を上回るような前方後円墳と違うことはわかります。群馬県藤岡市の白石稲荷山古墳は後円部径92mに対して前方部幅はなんと145mもあり、舟塚山古墳も後円部径90mに対して前方部幅は100mあります。それに対して梵天山は後円部径81mに対して前方部幅は57mにしかすぎません。
箸墓古墳(クリック)と梵天山古墳は類似の墳丘の形をしています。こうしたバチ型の墳丘をもつのは箸墓古墳の2分の1の岡山県の浦間茶臼山古墳(クリック)、奈良県の中山大塚古墳(クリック)、京都府の椿井大塚山古墳(クリック)も同様です。そう書きましたが墳丘の現状からはいずれも、梵天山古墳ほどにははっきりとはわかりません。通説では定型化された前方後円墳は箸墓古墳が最初であり、それが徐々に全国に広がっていったとされていますが、同時期に畿内に限らず西国でも東国でも前方後円墳は造られ、前方後方墳を加えればさらに数は多くなるそうです。広瀬和雄さんは「いわば同時多発的に出現していたのです」と述べています(前方後円墳の世界、岩波新書、2011、123頁)。全国を歩いてみるとなるほどと思います。地方の力は想像以上にあったということなのでしょうか。それにしても類似の設計の古墳が古墳時代の初期から存在したということは、情報の伝達等はどう行ったのかなど次々に疑問が湧いてきます。
梵天山古墳は宝金剛院の境内の裏にありましたがよく手入れされた墳丘は木々の間から差し込む光とも相まって荘厳な趣でした。動画2でその雰囲気が伝わっているでしょうか。神仏習合の典型例でしょう梵天山古墳も後円部には神社が祀られています。しかもどこかの古墳と違い控えめなところが気に入りました。神社の存在こそ墳丘が守られてきた証かもしれません。なお動画では古墳群中の阿弥陀塚古墳を最後に付け加えています。
アクセスは水戸駅からJR水郡線で河合町下車。徒歩30分です。バスでは乗車時に整理券をとり降車時に運賃を払いますが、水郡線の河合駅は無人駅で券売機もないため、バス同様に乗車時に整理券をとり降車時に払います。新鮮な驚きでした。徒歩30分とはいえ道順はいたって簡単です。駅前の166号線を北西方向に歩き一つ目の信号を左折、久慈川の支流を渡り500mほど歩くと右手にコンビニがあります。その手前を右折すると宝金剛院が見えてきます(撮影2016年1月13日)。
梵天山古墳基本データ
所在地 茨城県常陸太田市島町
形状 前方後円墳
規模 墳長151m、後円部径81m 高さ13m、前方部幅57m 高さ8m
築造時期 3C 末
出土品 不明 埴輪、葺石、周堀は確認されていない
史跡指定 県指定
特記事項 被葬者は久慈川流域を治めていた久自(慈)国造舟瀬足尼
(くじくにのみやつこふなせのすくね)と考えられている
(茨城県教育委員会、常陸太田市教育委員会)
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