帆立貝型前方後円墳と方墳、円墳が一度に・・・
関西に詳しくない者にとって今回の寛弘寺古墳群のある河南町といってもなかなかピンときません。そこで地図を用意しましたが大阪府の南部、東は山を越えれば奈良、南に下ればすぐそこは和歌山ということがわかります。かなり広い町です。既に河南町の古墳は雪に覆われた見事な双円墳、金山古墳を紹介していますがご記憶の方はおられるでしょうか(クリックすれば飛べます)。寛弘寺古墳はそこから北に2㎞ほどあがったところ、河南町を南北に流れる千早川西側の丘陵にあり公園として整備されています。
近鉄長野線の富田林駅からバスで15分ほど五軒家で下車すると道沿いに寛弘寺古墳公園の看板が出ています。丘に登ってみると広大な農地が広がっていました。説明板によれば、農地開発事業の際に古墳が多数確認され10年を超えて発掘調査が行われその数は92基にのぼったそうです。4C央から7C初めまでの間に築かれたといいますから、長い間この地は付近の豪族の奥津城だったのでしょう。そのうちのわずか4基だけが古墳公園として整備されているわけです。動画1の冒頭、ややわかりにくいですが円墳の4号墳→方墳の6号墳→帆立貝型前方後円墳5号墳の順で紹介しています(7号墳は6号墳の北端にある小規模の円墳)。4号と5号はほぼ同じ径29mほどの円墳と帆立貝型前方後円墳で6号は一辺21mから22mの方墳です。いずれも中小クラスの墳墓ですが、実際に見る大きさは計測された数字よりも大きな印象です。とりわけ動画3の方墳、6号墳はどこからみても非常に目立つ存在だったのではないでしょうか。築造時期は5号→4号→6号の順に5C前半から後半の間と考えられているようです。出土品は5号墳から円筒埴輪、船形埴輪が確認されています(撮影2019年7月12日)。
寛弘寺古墳群基本情報
所在地 大阪府河南町
形状 帆立貝型前方後円墳、円墳、方墳
規模 5号墳(帆立貝型)径22m+長さ4-5mの造り出し、4号墳(円墳)径22m、6号墳(方墳)一辺21-22mの方墳(いずれも高さの情報なし)、動画では紹介していないが径12mの円墳7号墳
築造時期 4C末から5C初(中期)
出土品 5号墳から円筒埴輪、他は不明
史跡指定 国指定
特記事項 公園化された4基以外に開発で消滅した多数の古墳が存在した。
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