大和川沿いに築かれた不思議な前方後円墳
国分神社内の社務所で見学の申し出をすると墳丘は竹が倒れているので十分ご注意くださいと親切なアドバイスをもらいました。たしかに9月はじめに関西を直撃した台風21号も古墳を襲ったようであちらこちらにその傷跡が。それはともかく墳長130mもある4C中頃に築かれたといわれる松岳山(まつおかやま)古墳は謎を秘めています。大和川沿いの丘陵に築かれ、すぐ西には玉手山古墳群(未アップ)があり古墳の立地としてはわかりやすいのですが動画1で紹介したように後円部の埋葬施設が実に不思議です。後円部が高く、前方部は低く、前方部の幅は後円部径の半分ほどしかないという点で前期古墳の特徴を示していますが、いくつもの点でこれまで見慣れてきた前方後円墳とは違うようなのです。ちなみに西南方向2.5㎞のところには全国で墳長第二位の応神天皇陵(誉田御廟山古墳)(クリックすれば飛べます)が古墳時代中期に造られますが、もちろん松岳山古墳の時代にはその姿は見えません。
墳頂に登るとベンチのような長さ2.5mほどの組み合わせ式石棺が露出していてびっくりしました。墳丘下の説明板によれば石棺を覆っていたこれまで紹介してきたような竪穴石室(たとえば高松茶臼山古墳(クリックすれば飛べます))が盗掘の際に壊され現状になったというのですが、そうだとするとこの石棺の上に盛り土がさらにあったということになります。不思議です。そう思って柏原市のHPにあたると「周囲には竪穴式石室を構築していた玄武岩の板石が大量に散乱しています。現在の状況からすると、墓坑内に石室が構築されたとは考えられず、墳丘上に板石のみを積み上げた積石塚のような施設が築かれていたと推定されます」とありました。納得です。とはいえその姿はかなり特異な感じがします(余談になりますが柏原市の古墳紹介の頁は発掘調査に基づく詳細なものです)。なにより謎なのは石棺を挟むようにして立っている大きな板石の役割です。これまでみてきた古墳でこのような施設(?)は見たことがありません。よく見ると(動画1で確認できます)立石中央に小さな孔が開いています。中国の墓碑を模倣したもの、石棺を降ろす際に軸となる木材を通したもの、立石が石室の南北壁面となり孔は石室内をのぞくためのもの等いくつかの解釈があるそうですが確定はできないそうです。
前方部南側斜面に確認できる葺石の葺かれ方もこれまでの古墳とはだいぶ異なっている感じがします。川原石などを貼りつけた見慣れた葺石とは違い玄武岩の平石を積み上げているのです。この古墳、キーワードは石ということになるでしょうか。アクセスはJR大和路線で高井田駅下車大和川を渡り東に1㎞ほど歩くと国分神社があり古墳はその境内にあります。社務所で許可を受ければ見学できます(撮影2018年11月7日)。
松岳山古墳基本情報
所在地 大阪府柏原市
形状 前方後円墳
規模 墳長130m 後円部径72m 高さ16m、前方部幅32m 高さ6m
後円部3段、前方部2段築成、葺石あり
築造時期 4C央
出土品 円筒、朝顔形埴輪、玉類、石釧、鍬形石、銅鏡片、鉄鏃、鉄刀、鉄剣、土師器
史跡指定 国指定
特記事項 本文にあるように後円部には組合せ式石棺が露出し、その南北には小さい孔があいた板石が立っているものの、その用途は不明
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