見どころは家型石棺が残る長さ19mもの石室
既に紹介した東500mのところにある橘塚古墳(クリックすれば飛べます)の後、7C初頭に築かれたと考えられているのが今回の綾塚古墳です。橘塚古墳と同様の巨大な石室(長さ19mもある)が見事ですが、両石室を比べてみると同じ複室構造ですが羨道の切石の表面加工など橘塚古墳の仕上がりは上のように思えます。工人が異なっていたのでしょうか。それはともかく綾塚古墳の何よりの「売り」は後室(玄室)に窮屈そうに据えられている家形石棺です。動画をご覧になるとわかりますが後室の幅は3.5mしかなく、他方石棺の蓋の長さは2.6mもあります。玄室内での移動は現代の祭祀用の設備などもあってかなり不自由でした。
その石棺、折角残されているのにこれまで見てきた完存しているものとは少々違っています。蓋が大きく割れているのです。伝承によれば慶長年間に細川藩の家臣がこの石棺を割り、小倉へ運ぼうとしたところ数々の災害が起きたため元に戻したそうです。もっとも全国各地で破壊された石棺の残骸をみてきたものからすると、当初の家形石棺の様子がよくわかりますしよかったのではないでしょうか。それよりもこの時期には畿内では石棺自体が横口式石槨などに変わりつつあった頃であったことを考えると、九州のこの地まではまだ波及していなかったということになります。アクセスはJR九州日豊本線で行橋駅下車 時間の関係でタクシーでみやこ町歴史民俗博物館まで行き、学芸員の方に案内して頂きました。この博物館、びっくりするほど充実しています。みやこ町の歴史民俗博物館のHPに入ると「現地研修のお申込み」という書式があります(撮影2018年3月28日)。
追記 今回の綾塚古墳、二つ前の花山西塚古墳、一つ前にアップした金鈴塚古墳とさほど築造の時期は異なっていません。日本列島の東、畿内、それに西で、同じ頃にこうした古墳が造られていたということになります。
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