神宿る島、沖ノ島を支えた豪族たちの古墳群

 
 世界遺産登録の沖ノ島ですが、肝心の沖ノ島を訪れることはできず、隔靴掻痒の感があります。とはいえ関連の史跡を全く見学できないわけではありません。島では4C後半から9C末まで活発に行われた大陸との交流の安全を祈願する祭祀が行われていたわけですが、それを支えていたのは当時、この地を支配していた豪族、宗像氏です。その宗像氏の墓は沖ノ島にあるわけではなく、玄界灘に面した津屋崎町東部の丘陵には南北7㎞、東西2㎞の範囲内に、いくつかの古墳群として残されています。その一つが福津市の奴山古墳群です。今回は、群中最大の墳長80mの前方後円墳22号墳を中心に紹介します。前方後円墳とはいえ、前方部が短い帆立貝型前方後円墳です。残念なことにその短い前方部も削平されて古墳は遠目には小型の森という感じです。 ただ、見どころはあって後円部を囲むように造られた幅5mの周濠とその外側の周堤がよく残され歩いて観察することができます。22号の南西隣にある径30mの円墳21号(動画冒頭に出てくる)の墳頂から古墳群全体がよくみえます。おすすめのスポットです。24号を中心に紹介している奴山古墳群1(クリック)とともにご覧ください(撮影2019年3月27日)。PNG 沖ノ島と奴山古墳群位置関係2021年3月5日作成
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