奥壁が見応えのある4号墳
姫路駅から神姫バスで20分ほど。見野古墳群前で下車し、上り坂を5分ほど歩くと動画冒頭の4号墳が見えてきます。非常にわかりやすく迷うことはありません。少々、戸惑ったのは広大な土地に古墳が点在している光景を想像していたのですが、見通すことができるほどの範囲に13基の円墳がぽつりぽつりと築かれていました。地方で展開された後期(終末期)の群集墳の典型的な例なのかもしれないなどと思いながら見学を開始しました。
まず、4号墳。説明によれば最も残りのよい古墳だそうです。たしかに封土こそ相当削られているものの9mほどの石室は完存しています。側壁が3段に積まれた羨道を越えた先の玄室では、一枚板の奥壁が光ります。偶然なのか4号墳も3号墳も左片袖式の玄室です。工人の趣味でしょうか。だいぶ数多くの石室をこのブログでも紹介してきましたが、なぜ、石室によって両袖(羨道から玄室をみると、玄室幅が左右に広がる)、片袖(左右どちらかに広がる)、無袖(羨道と玄室幅が同じ)と分かれるのか、わかっていません。何人もの考古学の専門家にも聞きましたが解明できていないそうです。両袖、片袖、無袖は、被葬者のランク順で決まると考えたのですが必ずしもそうとはいえないようです。
本題に戻ります。3号墳は奥壁が抜かれ、7号墳は石室がスケルトンのように残されています。入室できないので、カメラを突っ込んでみました。他方、10号墳(動画撮影失敗)、他の古墳同様封土が完全に流れています。姫路の石舞台と呼ばれることもあるようです。うーん。微妙です。それよりも熱心に保存運動に努めてこられた地元の有志の方々には申し訳ないのですが、古墳を初めて訪れる方には見野古墳群はレベルが高すぎます。既に紹介した双室墳の6号墳(クリックすれば飛べます)もそうですが、4号墳を除けば墳丘は流失し、石室も大半が半壊状態。いわゆる「古墳」をイメージすることは困難です。ところが兵庫県指定が4基(3号、4号、6号、10号)、姫路市指定が6基(7号は無指定)と専門家からみれると大変重要な史跡です。後期(終末期)石室の変遷がたどれるなどの理由があるようですが、残念ながら現在の私の理解力を越えています(撮影2019年9月10日)。
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