中期前方後円墳の特徴がよくわかる
今回は京都府長岡京市の5C中頃の築造と考えられる中期古墳、恵解山古墳を紹介します。関西の方には馴染みのあるところでしょう。京都から東海道線で大阪に向かう途中、右手に見える山並みがぐっと迫ってくる山崎の近くです。山崎といえばサントリーの工場で有名ですね。この古墳時代中期は、それまで最初に紹介した箸墓古墳をはじめとする大型の前方後円墳の築造地が奈良盆地東南部から、応神天皇陵のある古市古墳群、仁徳天皇で有名な百舌鳥古墳群の位置する河内・和泉方面に移動した時期にあたるそうです。権力が移動するような政治的再編が行われたと考えられるわけですが、それは地方でも例外ではなく、「地方でも大型前方後円墳が出現しており、それまで小地域を治めた首長が、より大きな地域を従えるようになった」と専門家は述べています(恵解山古墳―乙訓最大の古墳― (長岡京市埋蔵文化センター、2014)。
素人目には水運で重要な役割を果たしたはずの淀川流域を有力豪族が支配して当然という気がします。淀川そのものの重要性が増したのかもしれません。恵解山古墳の被葬者はそうした人物だったのでしょう。墳長は128m、三段築成で築かれた斜面には葺石が葺かれ西側造り出しには埴輪が取り囲んでいます。見事な復原古墳です。この古墳が特に知られるようになったのは、鉄製の刀剣、槍、弓矢など武器類700点余りが埋納された専用の埋納施設が発見されたことでした。現地でも施設が復原され、長岡京市埋蔵文化センターでは発掘された武器類を見ることができます。動画2では前方部と後円部の境にある武器埋納施設が見えます。
それにしても、これほどの武器類がなぜ埋葬されたのか個人的には不思議な感じがしています。鉄素材は輸入していたほどの貴重品のはずですし、倭は当時、朝鮮半島に進出し高句麗と戦っていた頃で軍事的余力はなかった気がするのですが。いずれにせよ多くのことを考えさせてくれる古墳です。阪急西山天王山駅東改札口からサントリーの山崎工場の正門前をとおりすぎ、一つ目の恵解山口の信号を左折すると右手に見えます。駅西側にある埋蔵文化財センターはだいぶ離れたところにあり探すのが大変でした。なお動画1の最初のキャプションに後方部から後円部とあるのは前方部から後円部の誤りです(撮影日 動画1と2 2015年11月7日、3以降2017年2月16日)。
恵解山古墳基本データ
所在地 京都府長岡京市勝竜寺・久貝
形状 前方後円墳
規模 墳長 128m 後円部径78m 高さ8m 前方部幅78m 高さ6.5m
築造時期 5C中頃
史跡指定 国指定
出土品 鉄製武器類、円筒埴輪、形象埴輪
特記事項 大量の武器が埋納されている施設が前方部にあることは極めて稀。
にほんブログ村