田んぼの中にぽつりと残る墳丘
仙台空港が北西3kmほどのところにあり南に2kmほど下ると海側に大津波襲った阿武隈川があります。多くの犠牲者をだした東日本大震災ですが今回紹介する亀塚古墳には直接的な被害はなかったようです。岩沼駅から北に1kmほど歩くと収穫が終わった水田のなかに、それこそぽつりとスリムな墳丘が横たわっていました。現在の墳丘長は39.5mしかありませんが2011年の発掘調査で、二回りほど大きい48m、後円部径も25m、さらには全体に周濠が巡っていたことが明らかになっています。そして岩沼市民図書館(岩沼駅から徒歩5分)のふるさと展示室には東側くびれ部で完全な形で出土した一木二又鋤と呼ばれる農耕具が展示されていました。墳丘全体の形などから5C代、古墳中期に造られた地元豪族の古墳とみられていますが、新たに見つかった農耕具だけでは築造時期の特定は難しいと調査を担当された方が話されていました。葺石や埴輪も発掘されていないそうです。
動画からもわかるように開発が至近距離まで迫っています。それでも亀塚古墳が現在まで残ってきたのは、地名として亀塚が残っていることに加え、地域の人々になくてはならない存在だったからのように思われます。昔からサッペ講と呼ばれる火防祭が旧暦の10月25日(現在は新暦の日)に行われてきたようなのです。岩沼市文化財保護委員の千葉宗久さんは「かつては、家々で新米のモチをついて、豆腐モチやアンコモチを親類や親しい人々にごちそうしたそうです。そして夕方になると大人も子供もワラを抱えてかめ塚古墳に集まり、それで1メートル程の小屋を作ったという。供え物をして、多宝院様にお願いをしてお祭りを行い、終わると切り火を切って一切の物を焼いたそうである」(岩沼市文化財だより、平成14年3月1日)と書いています。11月初旬の訪問だったためか動画2の前方部手前に切り火を切った跡が見られるように思うのですが気のせいでしょうか。いずれにせよこの地元に愛されてきた亀塚古墳をこれからも大切にしたいものです。
アクセスはわかりやすいです。岩沼駅を線路沿いに北に歩き25号線の高架をくぐりさらに直進すると住宅地が途絶え田畑が広がります。動画1がそのあたりになります。JR岩沼駅から徒歩15分です。図書館は線路をはさみ古墳とは反対側(海側)にある岩沼小学校のすぐ近くにあります。徒歩5分(撮影2015年11月5日)。
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亀塚古墳基本データ
所在地 宮城県岩沼市亀塚
形状 前方後円墳
規模 墳長39.5m、後円部径16.3m 高さ 2.45m、前方部幅10.3m 高さ2.05m(2011年の調査で墳長48m、後円部径25m、前方部長22m、くびれ部幅11mであることがわかった、岩沼市教育委員会)。
築造時期 5C
出土品 一木二又鋤と呼ばれる農耕具
史跡指定 岩沼市
特記事項 本文説明にあるようにさっぺ講と呼ばれる火防祭が亀塚で行われてきた