中規模の前方後円墳だが石室も見れる
ようやく九州は宮崎県の前期古墳を紹介できることになりました。西都市の西都原古墳群の第1回目、13号墳と35号墳です。実は2014年の3月に一度訪れていますが動画撮影をまだはじめていなかったのです。手元にあるのは全て静止画像。今回は満を持して動画をと張り切りすぎたせいでしょうか。あいにくの本降りの雨。それでも歩き始めたら興味深い古墳ばかりで今回も予定の時間までにすべてをまわることはできませんでした。なにしろ前期から終末期まで前方後円墳18基を含む311基もの墳墓が東西2.6㎞南北4.2㎞の広さに築かれているのです。もっとも古墳は均等に並んでいるわけではありません。第一古墳群、第二古墳群、第三古墳群と呼ばれる地域に密集しています。今回の13号と35号墳は第一古墳群に前後に並ぶように築かれています。知っておられる方も多いと思いますが、以下は二基の説明の前に宮崎(日向)の古墳についての予備知識です。
改めて驚かされたのですが宮崎県は天孫降臨の神話の世界は別にしても九州七県の中で福岡県と並びずば抜けて前方後円墳が多く177基も築かれています。しかも九州の中で前期最大、墳長143mの3号墳が生目古墳群に(いずれ紹介します)、中期では墳長176.3mの女狭穂塚古墳が西都原古墳群に造られています。古墳時代全体でみても九州で最大です。(このあたりの記述は北郷泰道さんの「西都原古墳群」(同成社、2005)に負っています)。なぜ宮崎(日向)に前方後円墳がそれほど多く、しかも大型なのか興味は尽きません。墳丘の形式や規模が地方の首長とヤマト王権との関係を示しているとすれば、宮崎の在地首長は特別に遇されていたということになります。ヤマト王権にとりなぜそれほど重要だったのかについてのヒントは交易ルートにあるようです。詳しくは北郷さんの本をご覧ください。
肝心の13号墳と35号墳ですが墳長78.5m、70mと中規模の大きさの前方後円墳である一方、墳丘は前方部が細く長い柄鏡型でその特徴は動画3の35号墳の後円部からの眺めではっきりと確認できます。13号も同様に柄鏡型で後円部の高さが前方部よりはるかに高いという点も共通しています。前期に特有の墳丘形式です。ただ13号にはあった周濠が後から造られた35号にはありません。動画2で紹介している13号墳後円部の埋葬施設は全国的にみた復元古墳でも珍しいもので貴重です。後期古墳によくみかける横穴石室のように後円部の入口を入ると後円部頂から2mのところで見つかったという人頭大の川原石(礫)で覆われた粘土郭のレプリカを見ることができます。ずいぶん大きく感じました。
アクセスは宮交シティから一日2本出ている西都原考古博物館直行バス(復路も2本)を利用するのが便利です。1時間15分かかります(撮影日2017年3月23日)。
西都原古墳群(1)13号・35号墳基本データ
所在地 宮崎県西都市
形状 前方後円墳
規模 13号 墳長78.5m 後円部径45m 高さ6.7m、前方部幅26m 高さ4.1m
三段築成 葺石
35号 墳長70m 後円部径37m 高さ6.5m、前方部幅20m 高さ3.2m
葺石 周濠
出土品 35号 三角縁神獣鏡、ひすい勾玉、ガラス小玉、鉄剣、刀子等
13号 方格規矩鏡、碧玉勾玉、管玉、直刀、鉄剣等
築造時期 4C後
史跡指定 西都原古墳群として国の特別史跡
特記事項 35号墳は動画で紹介しているように後円部の礫に囲まれた埋葬施設が復元公開されている
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