持ち送りや分厚い袖石が印象に残る見事な石室
夏吉1号墳(クリックすれば飛べます)と並び田川市の指定文化財となっている夏吉21号墳。1号墳と同様の複室構造の横穴石室をもつ径25mの円墳ですが、1号墳よりもずっと大きく全長12.5mです。1号墳は8.2mですから1.5倍ということになります。1号墳は石棚が側壁にある珍しい構造でしたが、21号墳には石棚はありません。ですが比較して見直してみると使用されている石材の大きさはより大きく、天井に向かって内傾する持ち送りの積み上げ方もより丁寧な印象です。前室から後室(玄室)の境にある分厚く大きな袖石が重厚さを与えています。それにしても何度みても美しい石室です。是非、比較してご覧ください。21号墳までは夏吉1号墳から500mほど南に歩くと周辺の田畑のなかに古谷産業の社屋が見え、その左手、東側300mの山裾に動画1の冒頭にある夏吉21号墳と記された道標があります(撮影2019年3月27日)。
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カテゴリ: 福岡県
日拝塚古墳(春日市)(福岡県)(後期)■Hihaizuka Tumulus (Fukuoka Pref.)
見応えのある墳丘と穹窿式(ドーム型)石室
動画はこちらのページにアップしています(クリック)。今回の日拝塚(ひはいづか)古墳のある現在の春日市は福岡県の北部に位置し、弥生時代の遺跡も数多く残されている古代日本の主要地域です。魏志倭人伝に登場する奴国(なこく)にあたり、その指導者の奥津城(墓域)ではないかといわれ大量の前漢鏡等が出土した須久岡本遺跡(紀元前4Cから紀元3C前半、弥生時代中期から後期)も日拝塚古墳のすぐ近くにあります。同じ奴国の領域であった福岡市内の比恵遺跡からは古墳時代前期はじめ、3C後半と考えられる古代道路の一部や、硯(すずり)の一部が近年相次いで発掘されています。
その後、政権の中心が畿内に移動したこととも関係があるのでしょうか、古墳時代前期、中期を通じて那珂川流域には、さほどほとんどめぼしい古墳は築かれていません。前期では、三角縁神獣鏡出土の那珂八幡古墳(クリックすれば飛べます)、中期では初期の横口式石室で知られる老司古墳(見学不可)、そして後期に至り、今回の日拝塚古墳、そして東光寺剣塚古墳(クリックすれば飛べます)が知られています。
日拝塚古墳。古墳には変わった名称が多いのですが、今回はわかりやすく、太陽を拝むと
いう意味です。マップに記したようにお彼岸の時期に後円部の東にある大根地山(おおねちやま)から昇る太陽を拝めるのだそうです。主軸が東西を向いていますから、被葬者の関係者は、そのこと(太陽を拝む)を意図して築いたのでしょうか。気になるところです。墳丘は削られているものの段築が明瞭ですし、訪れたのが桜の季節ということもあり見栄えがよかったです。古墳は何度も書きましたように訪れる季節によって全く印象が違います。
肝心の石室ですが、事前に教育委員会で鍵を開けて頂き見学。これはもうご覧のとおりの立派な穹窿式でただただ感心。天井中央に壁が集まっている様子がよくわかります。佐賀県の田古里古墳(クリックすれば飛べます)、道越古墳(クリックすれば飛べます)と同じタイプです。それと羨道方向をみるとわかりますが、袖石の迫力。なんとも存在感があります。残念だったのはキャプションに書いた、奥壁の赤色部分です。朱が残っているのかと思ったのですが、文化財課の方のお話では赤カビだそうです。そういえば石室は湿気の宝庫でした。また豊富な副葬品の出土品には金製垂飾付耳飾り、金環等装身具、環頭柄頭をもつ太刀等武具、輪鎧、須恵器などが含まれているそうです。アクセスはわかりやすく九州新幹線の博多南駅から徒歩10分です(駅に案内があったと記憶しています)。蛇足ですが新幹線の料金としては破格の安さで8分乗車で300円です。通勤用に使われているからでしょうか(撮影2018年3月28日)。
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大塚2号墳(久留米市)(福岡県)(後期)■ Ootsuka No.2 Tumulus(Fukuoka Pref.)
胴張りの奥室が見応えのある石室
令和2年7月豪雨で甚大な被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。今回の古墳のある福岡県久留米市を流れる筑後川も氾濫しています。こんな時にと思われるかもしれませんが、アップの順番の都合でこうなりました。
大塚古墳歴史公園に保存されている大塚2号墳は筑後川の支流、巨瀬川(こせがわ)の南側に広がる耳納(みのう)山地の麓に築かれている比較的小型の円墳です。動画1の冒頭にあるように雄大な光景が広がります。JR久大線(久留米と大分を結んでいる)田主丸駅からひたすら歩いて45分ほど。年末の忙しいなか、前日に久留米市文化財保護課にダメ元で
開錠のお願いをしたところ、近くに寄る予定があるのでどうぞとのこと。これはラッキーと
勇んで現地へ急ぎました。きれいに刈込がなされている古墳は気持ちのよいものです。
羨道の先に前室、奥室と複室構造の石室で全長8.9m。規模としては中ぐらいでしょうか。とても丁寧に石が積まれ、思わず声を出しそうになったのは胴張り工法を採用した奥室の見事さでした。平面は楕円にみえ、そのまま四囲が天井に向かってせりあがっています。これまで側壁が外側に膨らむ胴張りの石室は何基も紹介している気がしますが床面で、その様子がはっきりわかるものははじめての気がします。加えて、前室と奥室の境のまぐさ石。それに前室と羨道の間の石、なんというのでしょうか。ともに圧巻といってよい大きさでした。よいものを見せて頂きました。感謝。アクセスは田主丸駅から果樹園を縫うように走る道路を水縄郵便局を目指します。この通りが県道151号線で、東に500mほど進むと石垣神社があり、ここを山側に右折するとほどなく大塚古墳歴史公園が右手に見えてきます(撮影2019年12月18日)。
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善院古墳群(久留米市)(福岡県)(後期)■Zenin Tumuli (Fukuoka Pref.)
前室も後室(玄室)も穹窿式(ドーム型)天井の見ごたえある1号墳
この日は強行軍でした。朝、博多を発って久留米に。西鉄久留米駅から田主丸方面のバスに乗りまず草野バス停近くの線刻模様が残る前畑古墳に寄り、そのまま1時間後のバスで善院古墳群に向かいました。先輩諸氏のブログを見て大いに期待していた4号墳は残念ながら見ることができませんでした。立派なお庭の一角に径25mの墳丘が聳えるのをみて、大いに胸が高鳴りましたが、奥さんのお話では数年前の豪雨災害で石室開口部が崩れ、中には入れなくなってしまったとのこと。事前の調査不足でした。 もっとも1号墳は予想以上の石室でした。バス停近くにあり、その変わった2段築成の墳丘から後世に大いに手が加えられたことはすぐにわかりました。久留米市文化財課の方の話では100年ほど前にツツジが生い茂っていた墳丘を所有者の方が伐採し、古墳のように整備されたとのこと。そうなんですね。しかしヨーロッパの古城のなかに紛れ込んでも違和感のない造りです。とりわけ望楼のような墳頂の突起物が印象的です。実はこれ穹窿式(ドーム型)の後室(玄室)の高さ4mにあるむき出しの天井石なのだそうです。いははや驚きです。ということは盛土はさらに上まであったということになります。この1号墳、前室も穹窿式です。こちらは3m。複雑で凝った造りの石室ははじめてお目にかかりました。善院古墳群は現在8基が残り(すべては確認できませんでした)6C後半に築かれた円墳だそうです。動画3では石棚があるとされている玄室半分が残る7号墳(よくわからなかった)それに、半壊状態ですが使われている石材の大きさにびっくりの8号墳を紹介しています(撮影2020年2月29日12時)。
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