今回の前期古墳は愛媛県今治市の前方後円墳、妙見山古墳です。規模は墳長55mとやや小ぶりですが前期、それもかなり早い段階に造られた古墳が復元された墳丘だけでなく、後円部の埋葬施設も見学できる点で大変に貴重です。折角の機会なので高松だけでなく足を延ばして今治市までと思ったのですが、案外、移動に時間がかかりました。高松を737分の特急で発ち、今治経由で古墳近くの大西駅に着いたのは101分です。そこから午前の石室の見学時間10時半に間に合うように急ぎました。古墳のある藤山健康文化公園まではさほどの距離ではなく徒歩で20分ほど。ところが園内の奥にある古墳までは急坂が続き、着いたのは40分ぐらいだったでしょうか。それでも苦労した甲斐のある見事な古墳が待ち受けてくれました。地山を切り出した墳丘なので山の端に古墳が連結しているという感じは、動画1でわかるとおりです。残念ながら、斜面に立っているのと、整形されていない2号墳上は雑木林で1号墳を見通すことができません。部分的ですが葺石の葺かれた壺形埴輪の並ぶ前方後円墳の雄姿をもう少し遠くから見ることができればと思いました。

  短めの前方部(幅31m)と後円部(径36m)に埋葬施設があり、前方部と後円部の接続部分から埋葬施設に潜り込むことができます。動画3をじっくりご覧ください。築造した人々はこのような形で竪穴石室をみることはなかったわけですが、見学者には、その構造を知ることができて大変貴重です。発掘調査に携わる考古学者など専門家にとっては常識なのでしょうが、目の当たりにすると臨場感は格別です。これでは横穴石室とは違い追葬はできないことがよくわかります。天井の板石は、別途、公園内に保存されているほか、出土品の展示が行われている資料館もあり様々な角度から妙見山古墳を勉強することができ、大変に充実した施設です。

 妙見山古墳を含め全国を眺めると前期、それも箸墓古墳(クリックすれば飛べます)と同時期、あるいはその直後に造られた古墳が少なくありません。一般的には前方後円墳はヤマト王権周辺ではじまり、徐々に全国に広まっていったという見方は今では否定されつつあるようです。大阪大学教授の福永伸也さんは「かつては時間をかけて徐々に地域に浸透していくと考えられていた前方後円墳が、箸墓古墳の成立から数世代のうちには、古墳時代の最大分布域に近い東北南部から九州南部にまで及んだことが近年では明確になってきた。そこには、向き出しの物理的な強制による支配ではなく、儀礼における中心―周辺関係を巧みに利用した政権側のソフトな地域戦略が読み取れる」(前方後円墳の成立、日本歴史 第1巻 原始・古代1、岩波書店、2013)と述べています。妙見山古墳が前方後円墳であることを考えれば、かなり早い時期にこの地とヤマト王権が密接な関係を有していたのでしょう。これまでアップした古墳動画では、大分の赤塚古墳、岡山市の浦間茶臼山古墳(いずれもクリックすると飛べます)が妙見山古墳と同じ頃に造られています。

注意しなければならないのは埋葬施設内の見学です。午前、午後の二回しか解錠しません。また、雨天の場合も閉鎖のようです。現地ではボランティアの方が解説をしてくれます。事前に休館日も含め大西藤山歴史資料館(0898-53-2313)に確認をするとよいと思います。





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妙見山古墳基本データ

所在地 愛媛県今治市大西町

形状 前方後円墳

規模 墳長 55m、後円部径 39m 高さ 7m 、前方部幅 33m 高さ 4m 二段築成

築造時期 3C

出土品 後円部埋葬施設棺外に鉄剣、鉄斧、鉄刀の破片など、棺内に銅鏡の痕跡 前方部埋葬施設からは四獣鏡、鉄器残片、くびれ辺りに二重口縁壺形土器

史跡指定 国指定

特記事項 隣接して2号墳、3号墳がある






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