縦長の石室が印象的な吉備の三大巨石墳の一基


  201878日の西日本豪雨で井原鉄道の吉備真備駅前が完全に水没している画像を見て言葉を失いました。道を聞いたご婦人の店も、イートインで休息をとったコンビニも被害にあっていそうです。現地を訪ねたのは2017年の12月。そろそろ紹介しなければと思っていた矢先の災害です。吉備の三大巨石墳の一つ箭田大塚古墳をアップするのを躊躇していたのは、被害に遭われた方々に何か申し訳ないような気分がしていたからです。もっとも箭田大塚古墳は吉備真備駅から見て北北西1.5㎞ほどのところにあり、大規模な水没は小田川と高梁川(たかはしがわ)が合流する東2㎞の地点でした。古墳自身は動画1でおわかりのように丘の先端部分にあり豪雨の被害は竹藪以外は受けなかったようです。駅から徒歩で30分ほど。まきび公園の前をとおり県道54号線を北にあがると田んぼの先の左(西側)に古墳のある竹藪が見えます。

  墳丘を遠くから眺めることができるのは吉備の三大巨石墳、こうもり塚古墳(クリックすれば飛べます)、牟佐大塚古墳(くりっくすれば飛べます)の中ではここ箭田大塚古墳だけです。小さな造り出しのついた円墳は、径54mですからかなり大型です。しかも古墳は丘の端にあり、階段で登ると目の前に墳丘が広がるので(動画1)なかなかの迫力です。墳丘のまわりには周濠、周堤がまわっていたそうです。さすが巨石墳だけあって他の2基同様に立ったまま楽々入室が可能です。羨道の高さは2.4mもあります。高さの割には羨道幅は2.3mしかなく、長さは10.7mもあるので縦長な印象です。そのまま歩くと玄室前には開口部同様の鉄格子があり、その先に奥行8.4m、幅3mの玄室がみえました。これだけ長いとすぐ見える2基の石棺も縦に置くことが十分可能です。半分以上破壊された石棺に気をとられましたが、見上げた天井高は3.8mもあり突き当りの奥壁鏡石は一枚の板石で、ただただ感心するばかりです。羨道も玄室も縦長というのは当時の流行だったのでしょうか。比較のために他の2基の玄室規模を書いておきます。こうもり塚古墳玄室は奥行7.7m、幅3.6m、高さ3.6m、牟佐大塚古墳玄室は奥行6m、幅2.8m、高さ3.2mです。こうもり塚は玄室内に入れず、その大きさを実感できないのは残念です。

 なぜ吉備に三大巨石墳と呼ばれるこれらの古墳が造られたかですが、吉備が古墳時代に出雲と並び畿内ヤマト王権に伍する勢力をもっていたことはよく知られています。中期には造山古墳作山古墳(ともに古墳名をクリックすれば飛べます)と300mを超える前方後円墳を築く力を有していました。しかし雄略天皇の時代5C後半に中央集権化を強化するために吉備に服従するよう求め抵抗の結果、吉備の力は削減されます。記紀には詳細な伝承が記されています。しかし、その一族は完全にその力を失ったわけではなく6C後半においても三大巨石墳を造るような力をもっていたといわれているようです。吉備の歴史については多数の書籍が出版されています。ご興味のある方は是非ご覧ください。なお箭田大塚古墳の石室は普段は施錠されています。事前に倉敷市教育委員会文化財担当に連絡して見学したいと伝える必要があります(撮影日20161212日)。なお動画2のキャプションに追走とありますが追葬の誤りです。PNG yataootsuka kofun zu
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