竹藪に覆われた巨大前方後円墳
非常に紹介するのが難しい古墳です。墳長が180m、周濠を含めると273mと大古墳ですが、動画でおわかりのように墳丘全体が竹やぶに覆われていてなかなか見通しがききません。とはいえ近鉄の久津川駅から商店街をとおり10分ほど歩いて着いた現地は、それまでの景色が一変し、古墳の大きさを実感することができます。一回目の訪問では雨のため、後述する造り出しの発掘調査は中止。ブルーシートが覆われた現場から全体を見たあと、墳丘に登りました。市民の皆さんの(車塚森づくり2011)の伐採作業も追いつかないのでしょう。如何に整備が難しいかを実感しました。そこで日を改めて、2016年1月末に再訪しましたが、状況はあまり変わりませんでした。何より度肝を抜かれたのは、下調べでわかっていたとはいえ明治27年(1894年)に、旧国鉄奈良線の工事の際に勾配修復のために後円部の三分の二ほどを土取りし、見るも無残な変わり果てた姿を見たことでした。動画2でご覧いただけます。ただ、その乱暴な掘削の結果、有力者しか使わない長持形石棺が未盗掘のまま発見され、三角縁神獣鏡を含む銅鏡7面などが出土しています。そのことは大阪羽曳野市の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)と同じ設計(縮小)という指摘(城陽市教育委員会)からもわかります。
前回の中期古墳、太田天神山古墳(クリックすれば飛べます)もそうでしたが、このぐらいの規模になると前方部まで見通すことはなかなか難しく、それがまた巨大さを実感する証のようなものにも感じられます。中期の古墳は前方部の発達がみられ前方部幅が後円部径よりも広いのでなおさらです。丁度、前方部から後円部に歩く途中にJR奈良線の電車が通過。動画4では敢えてその音を残しています。また、墳丘の二段目の西側段築に沿って遊歩道が造られており、見上げると墳丘の陵線がよくわかりました。
車塚古墳の東側、JR奈良線の踏切をわたったすぐのところにほぼ同じ時期に造られた
前方部が短い墳長104mの前方後円墳(帆立貝型)丸塚古墳があります。残念ながら訪れた時は全体が雑木林と雑草に覆われていました。また、車塚古墳の北側すぐのところ、スーパーいずみやの駐車場横には墳長110mの前方後円墳、芭蕉塚古墳がありますが、ここは民有地のため竹やぶの生い茂った墳丘を眺めるだけです。それだけに車塚古墳の整備が待たれます。
聞けばここを史跡公園にするとのこと。出現期の芝ケ原古墳(クリックすれば飛べます)はじめ城陽市教育委員会は、史跡の保存整備に熱心です。是非、期待したいものです。最新の発掘調査では東西約10m南北約20mの西側の造り出しから残存する葺石、円筒埴輪、家型など形象埴輪が出土したとのことです。詳しくは久津川車塚古墳現地説明会(2015年9月19日)をご覧ください(アップされています)。アクセスは近鉄京都線久津川駅から東に歩き二つ目の信号を左折した右手。10分ほどです。また城陽市歴史民俗資料館には車塚古墳出土の長持型石棺のレプリカ等が展示されています(撮影2015年9月8日、2016年1月26日)。