古市古墳群で墳丘に登れる貴重な前方後円墳の一基
前回は古墳時代前期、それも出現期の3C中頃に築造され卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳を紹介しました。今回紹介する古室山古墳の被葬者は日本全国の大半の古墳同様、当時の有力豪族という以外なにもわかっていません。ただ古墳時代中期初頭の畿内にある古墳の一つとして取り上げる意味はあると思います。
ヤマト王権(ヤマト政権の中枢を構成した政治権力、白石太一郎)の地域的基盤を時系列的に見ると、奈良盆地東南部のオオヤマト古墳群、北部の佐紀古墳群、西南部葛城の馬見古墳群、大阪平野南部の南河内の古市古墳群、和泉北部の百舌鳥古墳群と移動するようですが、古室山古墳は古市古墳群に属する古墳の中では津堂城山古墳(クリックすれば飛べます)並び古い時期に築造されたと考えられています。
この古市古墳群は百舌鳥古墳群とともに世界遺産登録を目指しており、墳長425mと全国第二位の規模を誇る応神天皇陵(誉田御廟山古墳)(青字クリックすれば飛べます)も含まれていますが古室山古墳よりも後に造られています。現在、古室山古墳の後円部から一望できる巨大な応神天皇陵の姿は、古室山古墳ができた時の景色とは異なるということになります。
古市古墳群、百舌鳥古墳群には墳長200mを超える古墳が9基あり、その中で150mの古室山古墳は小規模ですが、墳頂にあがれる数少ない墳墓であり、木々の間から明瞭に墳形が読み取れるという意味でも大変に貴重だと思います。近鉄南大阪線の土師の里から仲津山古墳を周濠沿いに500mほど歩き古室八幡神社までくればすぐに見えます(撮影2015年1月28日)。
古室山古墳基本データ
所在地 大阪府藤井寺市古室2丁目
築造時期 5C初頭
規模 墳長150m 後円部径96m 高さ15.3m
前方部幅100m 高さ9.3m 3段築成
出土品 円筒埴輪、形象埴輪
史跡指定 国指定
特記事項 葺石 東側に造り出し 周濠 竪穴式石槨


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