前方後方墳としては最大規模
箸墓古墳近くのJR桜井線の巻向から柳本、長柄そして今回紹介する西山古墳のある天理駅。三輪山を眺めながら大和の古代道路、山の辺の道を歩く人も多いのではないでしょうか。既に黒塚古墳のところでも触れましたように、その道程には大和古墳群と呼ばれる陵墓に治定されている大規模な前方後円墳がいくつもあります。いつ訪れても巨大な森にしか見えないとはいえ、どこかにその威厳さを感じさせる何かがあります。ところが今回の西山古墳は山の辺の道の起終点ともいわれる天理市の石上神宮そばにありながら雰囲気がかなり違います。愛らしいといったら失礼ですが親しみを覚えるなにかがあります。日本最大の前方後方墳とはいえ墳長は183mと短く、大和古墳群の景行天皇陵や崇神天皇陵に比べるとスケール感に乏しいからでしょうか。それだけではないような気がします。天理教施設内あり丁寧に保存整備されているものの、天理中学の校舎などが周囲にある点は、田畑に囲まれた大和古墳群の陵墓とは大きく違います。加えて、古墳全体が数本の樹木以外はススキの藪に覆われている点も西山古墳の特徴かもしれません。 はじめて訪れた時は背丈ほどに伸びた緑一面のススキに阻まれて墳頂に登るのを諦めたほどです。しかし、今回の動画では天理大学の学生さんなどが懸命に草刈りをしたあとの墳丘が明瞭にみえる西山古墳をとらえることができました。スケール感に乏しいと書きましたが、どうしてどうして90mもある前方部だけでも相当の距離がありました。実は前方後方墳とはいえ、後方部は三段築成の一段目だけであとの二段は後円墳になっています。歩いてみてそれを明瞭に確認することはできなかったのですがYahooなどの地図にある空撮を見るとたしかに四角い後方部が円墳上のものを戴いている様子がよくわかります。それにしても前方後円墳が多数を占める畿内にあって前方後方墳の西山古墳(近くには下池山古墳などもあります)の存在は、この分野を勉強し始めた私にとっては意外でした。魏志倭人伝がいう邪馬台国と敵対していた狗奴国が美濃地方に前方後方墳を造りはじめたとのではないかと思っていたからです。西山古墳がどのような経緯で造られたのか、なぜそれが前方後方墳だったのか知りたいことは山ほどあります。
アクセスは天理駅から徒歩で20分ほどです。天理高校の正門前を南方面に200mほど歩くと道が左に緩やかにカーブします。その辺りから正面に墳丘が見えます(撮影2014年12月3日)
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カテゴリ: 奈良県
都塚古墳■(明日香村)(奈良県)(終末期)Miyakozuka Tumulus (Nara Pref.)
階段ピラミッド型の墳丘が確認された古墳
今回は馬子の墓といわれる石舞台古墳から500mほど南方に下ったところにある都塚古墳です。長さ12mの巨大な石室を有する6C後半に築造されたと考えられる終末期古墳です。田畑の中にポツンとそれはありました。これまで発掘されたことのない階段ピラミッド状の巨大方墳ではないかと2014年に報じられた話題の古墳です。上部の墳丘部分は段状に石が積まれ、四段確認されているそうで、さらに数段増えると推定されているそうです(明日香村教育委員会作成のパンフレット、2014年8月)。現地説明会のあと埋め戻されていますので、階段状遺構は目にすることはできませんでしたが、前方後円墳が築造されなくなった時期の古墳として、その詳細が待たれます。はじめて訪れた私にとり、巨大な凝灰岩製の家形石棺を見ただけで十分に満足しました。アクセスは飛鳥駅からコミュニティーバス(赤カメバス)で石舞台まで行き、10分ほど歩いたところにあります。一時間に一本程度出ています(撮影2015年2月12日)
都塚古墳データ
所在地 奈良県高市郡明日香村高庄
形状 方墳
規模 41m(東西)×42m(南北) 高さ 約4.5m
築造年代 6C後半
出土品 土師器、須恵器、鉄刀、鉄鏃、鉄釘など鉄製品
史跡指定
特記事項 説明で触れたように発掘調査の結果、階段状の石積みが
確認された。また、横穴石室の長さは12.2m、羨道長6.9m、幅約1.9m-2m
高さ約2m、玄室長5.3m、幅2.8m、高さ3.55m
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巣山古墳(馬見古墳群)(広陵町)(奈良県)(中期)Suyama Tumulus (Nara Pref.)
とらえにくい超大型古墳の全体像
今回は奈良県広陵町の馬見古墳群に属する巣山古墳です。同じ古墳群のナガレ山古墳は既にアップしていますが、巣山古墳の墳長はその二倍、220mにも達します。群中、最大クラスの古墳です。しかし雑木林が全面を覆っているために動画をもってしてもその雰囲気を味わっていただけるかはわかりません。ただ動画でも一部映っている周濠とセットでみると、その規模の大きさは理解できるのではないでしょうか。築造当時は雑木林の代わりに葺石と円筒埴輪が墳丘を覆っていました。復原されたナガレ山古墳を思い出して頂きたいと思います。
見る側からすると、動画1、西側からの眺めは、全体像を見下ろす感じになり条件はよいと思います。蓋形、家形、水鳥など形象埴輪の出土でも大変有名です。考古学的には、そうした埴輪が多数置配置されていた祭祀が行われた島状遺構が既にアップした津堂城山古墳、いずれ紹介する三重県宝塚1号墳と類似しているとのことです(奈良県広陵町HP巣山古墳概要)。
アクセスは近鉄高田駅から奈良バスで竹取公園東行で終点まで行き、徒歩5分です。1時間に一本はあります(2014年11月6日)。
巣山古墳データ
所在地 奈良県北葛城郡広陵町
形状 前方後円墳
規模 墳長220m 後円部130m 高さ25m 前方部幅112m 高さ21m
築造時期 4C 末
出土品 多数の形象埴輪、滑石製刀子、籠形土器等
史跡指定 国の特別史跡(古墳では宮崎の西都原古墳、高松塚古墳等8か所)
ホケノ山古墳(纏向出現期古墳1)(桜井市)(奈良県)Hokenoyama Tumulus (Nara Pref.)
考古学的に貴重な纏向型前方後円墳の一基
今回は箸墓古墳の後円部から南側に300mほどのところにあるホケノ山古墳を紹介します。箸墓古墳以降に定型化する前方後円墳より前の段階のもので、後円部に比べ前方部が短く、帆立貝のようになっています。纏向型研究センター長の寺沢薫さんはホケノ山古墳を含め、纏向石塚、纏向矢塚はじめ全国の同型古墳を纏向型前方後円墳と呼んでいます。復原された墳丘を空撮画像でみると(Yahooの地図検索)、たしかにはっきりとその形がわかります。森におおわれてはいる箸墓古墳の空撮画像と是非見比べてください。
三段築成の墳丘や前方部の様子は春の撮影のために草に覆われて明瞭ではありません。そこで、冬場に撮った静止画像で補足しています。墳長は約80mですが、後円部の高さ8.5m、前方部の高さは3.5mとかなり差があります。後円部から前方部を撮った動画で、その差がわかりますでしょうか。後円部に石積みで囲った木槨、前方部裾の葺石を破壊して造った埋葬施設がそれぞれあるそうです。後者は復原されて位置がわかるようになっています。画文帯神獣鏡、鏡片、鉄製刀剣類、銅鏃、鉄製農工具等副葬品も豊富だったそうです。
アクセスは箸墓古墳の後円部側からJR桜井線の踏切を渡り100mほど道なりに進むと国津神社があり、その裏手になります(2015年4月17日)。
ホケノ山古墳データ
所在地 奈良県桜井市大字箸中
形状 前方後円型墳丘墓(纏向型前方後円墳)
規模 墳長約80m、後円部径約55m 高さ8.5m、前方部長25m 高さ3.5m
築造時期 3C央出土品 画文帯神獣鏡、鏡片、鉄製刀剣類、銅鏃、鉄製農工具等史跡指定 纏向古墳群として国指定
特記事項 墳丘の周囲には10.5mから17mの周濠があったそうです
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