古墳を動画で見るサイト guami_38_36のblog

なんでも実際に見てみないと気が済まない私。古代史初学者として3世紀中頃から7世紀初頭にかけて東北から九州まで造られた多くの古墳の内、墳丘が残り実際に墳頂まで登れるものを訪ねはじめました。2011年秋のことです。既に大いに刺激を受けている先輩方の古墳ブログやHPあります。ただ、なぜこれほど大きな構築物を造られたのかに興味がある私には、大半が静止画像のためにそのスケール感が伝わってきませんでした。偶然、動画で撮ってみたら案外いける。そんな思いで撮りためた古墳動画を見て頂くことにしました。素人の撮影ですから、古墳マニアや専門家の方々からは厳しいご指摘はあるかと思います。ブログでは基本情報とともに一古墳に3-5本程度の動画(各1分以下)を用意しました。この素人の試みが古墳を具体的にイメージする一助となれば幸いです。なお古墳名の次に■がある場合 石室の動画がご覧になれます。

■古墳時代の時期区分
 このブログでは古墳時代を広瀬和雄さん(国立歴史民俗博物館名誉教授)が通説として紹介している古墳時代を前期(3C中頃から4C後半頃)、中期(4C末頃から5C後半頃)、後期(5C末頃から7C初め頃)、終末期(7C前半頃から8C初め頃)に区分して捉えています(前方後円墳の時代、岩波新書、2010年)。
■アップの順番
 前期⇒中期⇒後期(終末期)の古墳を一基ずつワンセットにして全国の古墳を網羅することを目指しています。三基の古墳には何ら有機的な関係はありません。一つの地域に集中して前期から終末期まで掘り下げて見るのが一般的ですが、敢えてそうしなかったのは古墳時代の前期、中期、後期に全国でどのような墳墓が築かれたかを知りたいと思ったからです。古墳の築造年代は専門家の間でも様々な意見があり実年代を確定することが如何に困難なことかは承知しています。そのような限界の下でも古墳を横断的にみると今まで見えてこなかったものが見えてきたような気がします。専門分野外の古墳時代に関心を持ちはじめて日も浅い者ならではの冒険です。
■ご覧になる方法
最新記事9件についてはそのまま下にスクロールすれば見れます。各都府県別古墳は右の一覧をクリックしてください。文中にも関連の古墳に直接飛べるようにリンクを貼ってあります。

カテゴリ: 埼玉県

 今回は埼玉県行田市にある国宝稲荷山鉄剣が発掘された埼玉古墳群の中で最も大きい二子山古墳です(二子山古墳は全国にあり、先日アップしたのは群馬県のものです。動画1では頭に「さきたま」を入れています)。墳長は138mあり、大仙古墳(仁徳天皇陵)の形状によく似ているとされています。四分の一を一回り大きくした感じになります。大仙古墳はこんもりとした樹木に覆われ墳丘を見ることはできませんが、今回のさきたま二子山古墳からその姿を想像することができるのではないでしょうか。

現在では水を抜いた二子山古墳の周濠を一回りすると後期古墳にみられる前方部のほうが後円部よりも高い独特の形状がわかります。はじめは、後円部と前方部を取り違えたほどでした。調査の結果、大きな円筒埴輪が多数発掘されたそうで、この墳丘に埴輪が並ぶ様はさぞかし見せるという古墳の役割に応えるものだったのではないでしょうか。残念なのは築造当時、そもそも空堀だったということですから致し方ありませんが、水をたたえた周濠と墳丘のコントラストはそれは美しいものでした。墳丘が濠の水に浸食されてしまい今回の水抜きが行われたそうです。

 二子山古墳からは至近距離の埼玉県立さきたま史跡の博物館は必見です。稲荷山古墳から発見された国宝の115字の文字が刻まれた金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)を裏表から存分に見学できます。稲荷山、将軍山等他の古墳も随時アップしていきます。ご期待ください。

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さきたま二子山古墳データ

所在地 埼玉県行田市埼玉

墳形 前方後円墳

規模 墳長130m、後円部径70m 高さ13m、前方部幅90m 高さ14.9

築造時期 6C前半

出土品 円筒、人物埴輪、土師器、須恵器

史跡指定 国指定(さきたま古墳群として)

特記事項 二重の内堀 墳形は大仙古墳に酷似


 今回は円墳として全国一の規模を誇る埼玉県行田市の丸墓山古墳です。日本一の円墳が畿内ではなく東国にあるというのは不思議です。もっとも古墳の形状からいえば、既にご紹介したように前方後円墳、前方後方墳、方墳、円墳、方墳の順で格付けがなされていました。同時に墳形が大きいほどランクが高かったことも知られています。次の点も不思議です。なぜ、さきたま古墳群中、5C後半築造の稲荷山古墳につぐ6C前半に造られた二子山古墳(8月9日アップ)が前方後円墳なのに、同時期に造られた丸墓山古墳が円墳、それも日本一の規模だったのか。興味はつきません。この点は、さきたま史跡の博物館のHPの記述ですが、まったく同様の感想を持ちました。ヤマト王権と埼玉古墳群の被葬者は密接な関係があることは国宝 稲荷山金錯銘鉄剣の発掘から明らかとなりましたが、そのあたりのエピソードと日本一の円墳と関係があるのでしょうか。

 その大きさですが、動画でご覧のように周辺が整備されているので、さほどの威圧感はありません。墳長90mと、15m小さい朝来茶すり山古墳のほうが大きい感じもします(710日アップ)。それはともかく、実に優美な墳形であることは動画からも十分お分かりいただけると思います。

アクセスは公共交通機関の場合いくつかあります。さきたま古墳公園のHPに詳しいルートが紹介されています。行田駅から市内循環バスが一番便利ですが本数が少なく、二度目は本数が多いJR吹上駅から朝日バスで佐間経由 行田折返し場・総合教育センター・行田工業団地行に乗り産業道路で下車。徒歩15分のルートを使いました(撮影2016年3月1日)。

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丸墓山データ

所在地 埼玉県行田市埼玉

形状 円墳

規模 墳径 105m 高さ189m

築造時期 6C前半

出土品 円筒、人物埴輪

史跡指定 国指定

特記事項 円墳では全国一の規模



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  埼玉県行田市の見事な石室を紹介します。墳形80mと巨大な円墳の墳丘は昭和初期にすべて削平され石室だけが残されています。石室の規模と石組の美しさを考えれば、墳丘とともに保存できなかったものかと考えさせられてしまいます。周囲の状況も動画に映っていますが住宅地ではなく工場地帯です。そう、工業団地のど真ん中に取り残されたように小規模な公園が石室保存のために開設されています。それでも、開発の波が押し寄せるなか関係者の努力でようやくここまで保存整備することができたというのが実態でしょう。いまはそうした方々に感謝しなくてはいけないのだと思いました。それでも一つだけ注文すれば、石室の入り口の鉄の格子状の門には強い違和感を感じました。最近番外編としてアップした韓国、ソウルの芳荑洞古墳の石室入口と是非、比較してみてください。皆さんはどうお感じになりますか。

 それにしても羨道、前室、中室、奥室とつながる現在長14.7m は巨大としか言いようがありません。羨道はほとんど欠損しているわけですから、もっと大きかったということになります。動画2と3の石室の壁の石組ですがパンフレットは「榛名山麓の角閃石安山岩、荒川上流域の緑泥片岩、比企丘陵地域の砂室灰岩など広範囲に渡る複数の地域の石材が豊富に使用」されていること「断面形が六角形の切石を積み上げ、目の通りをさけるために断面形の切石をはさみこんでいます」と記しています。


 副葬品も金銅装鞘尻金具等豊富に出土し、特に漆塗り木棺片は東国では極めてまれで被葬者が7C前半から中頃にヤマト王権と密接な関係をもっていたと考えられているようです。既に仏教が伝来しており、副葬品や築造方法、石組、石切りの技法にもその影響がみられるそうです。石室は土日祝日の午前10時から午後4時までです。


 国宝の稲荷山鉄剣のあるさきたま古墳群まで徒歩で30分ほど、そちらも是非どうぞ。石室はJR高崎線行田駅から南大通りコース「工業団地」行バスで終点下車。自動車の内装業寿屋フロンテの工場の真裏です(撮影2015年8月15日)。

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所在地 埼玉県行田市藤原町1-27-3

形状 円墳(削平、消滅)、石室のみ残存

規模 石室 全長16.7m(現在長14.7m、奥室幅4.8m 高さ3.1m

築造時期 7C

出土品 須恵器壺、銅椀、青銅製八花型棺金具、鉄釘、鉄鏃、

金銅装鏃尻金具、漆塗木棺片等

史跡指定 県指定

特記事項 さきたま古墳群の被葬者のあとにこの地域で権力を

ふるっていた人物が被葬されていると考えられる



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 今回の後期古墳は既に紹介した二子山古墳(6C初頭)、丸墓山古墳(6C前半)と同じさきたま古墳群に属する将軍山古墳です。動画1からおわかりのように、いずれ紹介する稲荷山古墳とそっくりの形状をした前方後円墳です。関東には群馬県の保渡田古墳群、大室古墳群など復元された古墳群がありますが、さきたま古墳群もその一つです。8基の前方後円墳、1基の円墳からなる古墳群の墳丘の大半は芝生等で覆われ形がよくわかる点が何よりの特徴です。こうした明瞭な墳丘を繰り返しみると雑木林に覆われた天皇陵なども木々を伐採すると同様の形状が現れてくるはずだという勘が養われることに気が付きました。その意味でも東京から比較的近いこともあり三度も訪れてしまいました。季節によりその姿が大きく変わることがわかるのもさきたま古墳群の特徴のような気がします。
 ところで動画1の手前に大きく見えるのが国宝金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳です。その奥に今回の将軍山古墳が見えます。築造時期は100年ほどの差がありますが「方形二重堀や中堤造出し、墳丘後円部造出しなど、驚くほど稲荷山古墳と似ている」(ガイドブックさきたま、埼玉県立さきたま史跡の博物館)のだそうです。それにしても周囲をめぐる堀の大きさには驚かされます。ビジュアル的にも二重の堀が墳長90mほどしかない将軍山古墳を引き立てています。堀と堤をつなぐ土橋も動画に出てきます。
 豊富な出土品という点でも両古墳はよく似ています。後円部南東側は墳丘が失われ露出していた石室から馬具や環頭太刀、銅碗(どうわん)等が発掘されています。その後円部東南側に古墳展示館があり石室がリアルに復元されています。
 アクセスは公共交通機関の場合いくつかあります。さきたま古墳公園のHPに詳しいルートが紹介されています。行田駅から市内循環バスが一番便利ですが本数が少なく、二度目は本数が多いJR吹上駅から朝日バスで佐間経由 行田折返し場・総合教育センター・行田工業団地行に乗り産業道路で下車し歩いて15分のルートを使いました(撮影2016年2月24日)。
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将軍山古墳(さきたま古墳群)基本データ

所在地 埼玉県行田市

形状 前方後円墳

規模 墳長90m、後円部径39m 高さ8.4m、前方部幅68m 高さ9.4m

築造時期 6C後半

出土品 馬具や環頭太刀、銅碗(どうわん)、銅鏡等(一部は古墳公園内のさきたま史跡の博物館でも見られる)

史跡指定 国指定

特記事項 後円部東南側に横穴石室を中心としたガイダンス施設あり

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今回の中期古墳は金錯銘鉄剣が発掘されたことで知られるさきたま古墳群に属する稲荷山古墳です。墳長120mの堂々たる前方後円墳は1930年代後半に周囲の沼地の干拓事業のために前方部が大きく土取りされていたために修復復元されています。古墳群中では最も古く5C後半に造られた墳丘は中期古墳によくみられる前方部の発達が観察できます。62mの後円部径よりも前方部幅が74mと広く、高さも後円部11.7mと前方部10.7m1mの差しかありません。周囲にめぐらされた濠とも相まってより規模の大きな前方後円墳にみえます。
 これまでアップした古墳では京都府長岡京市の恵解山(いげのやま)古墳、このブログの表紙、群馬県高崎市の大鶴巻古墳、それに大阪府枚方市の禁野車塚古墳、前方後方墳ですが奈良県桜井市の下池山古墳がいずれも墳長120m前後です。4C初頭の禁野車塚、下池山古墳、大鶴巻古墳、恵解山古墳、そして稲荷山古墳の順で造られたようです。ぜひ、比較してご覧ください(古墳名をクリックすると飛べます)。稲荷山古墳は二段築成で葺石はなかったことが確認されています。ただし動画でおわかりのように三段築成のようにみえます。行田市の文化財担当の方のお話しでは一段目に見える濠からすぐのラインは基壇と呼ばれ土留めのようなもので段築ではないとのこと。調査の結果、基壇の上に二段築成の墳丘(二段目は墳頂)が載っていることがわかったそうです。ややこしいのはさきたま古墳群を含め、全国の古墳のすべてに基壇が造られているわけではなく詳細は発掘調査をしないとわからないケースが多いようです。
 さきたま古墳群は他の古墳を含め二重の濠がめぐっているのが特徴ですが復元された稲荷山古墳の周濠は一重で二重目は残念ながら確認できません。動画1の撮影位置の遊歩道あたりなのでしょうか。二重の濠越しにみる墳丘はさぞかし雄大だったのではないでしょうか。すでにアップしている将軍山二子山丸墓山の各古墳とともにご覧ください(クリックすると直接
飛べます)。
 稲荷山古墳が有名になったのは後円部頂の西側にある竪穴式石室から1968年に出土した副葬品の一つ金錯銘鉄剣の存在です。後に金象嵌で155文字が刻まれていることが明らかになった鉄剣は国宝の指定を受けています。たしかに動画4でおわかりのように文字が書かれていることは確認できます。撮影が可能だったのはラッキーでした。禁フラッシュ、禁接写を守れば撮れます。ズームを使って拡大してみましたが雰囲気が伝わっていればと思います。鉄剣は通常の展示方法とは違い縦に吊るされているので裏表がよくわかります。
 近つ飛鳥博物館館長の白石太一郎さんは江田船山古墳(熊本県)出土の文字入り大刀とともに「五世紀後半に倭国で作られたもので、日本列島における文字の本格的な使用のはじまりを示すものとしても、また同時期の文献史料がまだみられない五世紀の歴史を考える上からもきわめて貴重な資料である」と述べています(東国の古墳と古代史、学生社、2007年)。銘文は、「それが辛亥年(471年)に記されたこととともに、この剣を作らせたヲワケの祖先であるオホヒコからヲワケに至る八代の系譜を示し、さらにヲワケの一族が代々杖刀人(大王のそばに仕える近衛兵てきな人物、幾ちゃん注)の首として大王に仕えてきたこと」などが記されているのだそうです。そして大王のワカタケルは古事記や日本書紀にみられる雄略天皇を指すとみられています。倭の五王の武と考えられる雄略天皇といえば朝鮮半島への出兵、国内的にはヤマト王権を確立した5C半ばの王です。稲荷山古墳の被葬者が雄略天皇と何らかの関係を有していたことは確かなようです(撮影2016年3月1日)。



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 アクセスは公共交通機関の場合いくつかあります。さきたま古墳公園のHPに詳しいルートが紹介されています。行田駅から市内循環バスが一番便利ですが本数が少なく、二度目は本数が多いJR吹上駅から朝日バスで佐間経由 行田折返し場・総合教育センター・行田工業団地行に乗り産業道路で下車。徒歩15分のルートを使いました。


稲荷山古墳(さきたま古墳群)基本データ

所在地 埼玉県行田市埼玉

形状 前方後円墳

規模 墳長120m、後円部径62m 高さ11.7m、前方部幅74m 高さ10.7m

築造時期 5C後半

出土品  金錯銘鉄剣、画文帯神獣鏡、勾玉(まがたま)、銀環、金銅製帯金具、鉄剣、鉄刀、鉄矛、挂甲小札(けいこうこざね)、馬具類、鉄鏃

史跡指定 国指定

特記事項 文字115字が金象嵌された金錯銘鉄剣は国宝(古墳公園内の県立さきたま史跡の博物館で展示、動画4参照)





 

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さきたま古墳群は行田駅方面のバスの通る県道77号線を境に稲荷山古墳、二子山古墳のある北群(仮称)と鉄砲山、奥の山古墳等のある南群(仮称)にわかれます。今回、6C前半に造られた後期古墳として紹介する瓦塚古墳も南群にあります。丁度、国宝金錯銘鉄剣が展示されている博物館の東側に位置しています。

 動画では冬と夏の異なる表情の墳丘を紹介しています。墳長73mとやや小ぶりですが、後円部径が36.5m、前方部幅が47m、後円部高さが5.1mに対し前方部が4.9mとほぼ同じ、前方部の発達がよくみられる典型的な後期古墳です。墳丘は登れないので前方部の広がりが観察できないのがなんとも消化不良です。これまでアップした古墳で墳長がほぼ同じものとして2基あげておきますので、比較して是非ご覧ください。墳長76mの岐阜県大野町の登越古墳(野古墳群)(クリックすれば飛べます)、69mの千葉県我孫子市の水神山古墳(クリックすれば飛べます)です。こちらはともに登れますが、残念ながら中期古墳ということもあり前方部の発達はみられません。しかし墳長70m程度の古墳の規模をイメージするには適当だと思われます。

ガイドブックさきたまは、さきたま古墳群には多くの謎があるとして5点をあげています。①それまで古墳が造られていなかった場所に、突如として現れたこと、②東西約500m、南北約800mのせまい範囲の中に大型の古墳が濠をくっつけるような近さで、次々規則的に造られたこと、③前方後円墳は全て長方形または台形の二重の濠で囲うのを基本としていること、④西側に造り出しを持つ前方後円墳が多いこと、⑤前方後円墳の方向がおおむね同じであることをあげています。

略図にあるように、たしかに後円部が全て北東方向を向いているのが印象的です。同じように短期間に造られた群馬の大室古墳群とはだいぶ様相が異なります。長方形または台形の二重の周濠がめぐっている点も、この古墳群がビジュアル的に統一された印象を受ける理由かもしれません。おそらく同じ造墓集団の手になるものだったのでしょう。これまでに超大型の円墳丸墓山(以下同様にクリックすれば飛べます)にはじまり、二子山将軍山稲荷山とアップしています。まだ、いくつかの古墳が残っていますが、それぞれの動画からさきたま古墳群の全体像を捉えることができるのではないかと思っています。

アクセスは公共交通機関の場合いくつかあります。さきたま古墳公園のHPに詳しいルートが紹介されています。行田駅から市内循環バスが一番便利ですが本数が少なく、二度目は本数が多いJR吹上駅から朝日バスで佐間経由 行田折返し場・総合教育センター・行田工業団地行に乗り産業道路で下車。徒歩15分のルートを使いました(撮影2015年7月14日、2016年3月1日)
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瓦塚古墳(さきたま古墳群)基本データ

所在地 埼玉県行田市

形状 前方後円墳

規模 墳長73m、後円部径36.5m 高さ5.1m、前方部幅47m4.9m

出土品 円筒埴輪、家形、水鳥など形象埴輪、琴を弾く男、首飾りをつけた女など人物埴輪

史跡指定 さきたま古墳群 国指定

特記事項 さきたま古墳群の前方後円墳中8基のうち5番目の墳長



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   古墳踏査を重ねてだいぶ時が経ちましたが今回ほど驚いたことはありません。見事に剪定された墳丘の植栽を目にした時、ベルサイユ宮殿に代表される西洋の庭園に迷い込んだ気分になりました。植物を使って刺繍のように見える作庭技法が古墳の保存に使われているわけです。ツゲでしょうかツツジでしょうか。それらの植栽ためもあって墳頂に登っても前方部、後円部の形がいまひとつよくわかりません。もっとも古墳の所有者のご趣味と聞けば部外者がとやかくいう問題ではないのかもしれません。話が脱線しましたが墳長98m、前方部の幅が55m(後円部径より5m大きい)と発達した墳丘は動画1に見るようによく残されています。周囲の広い空間が墳丘の姿をいっそう際立たせます。専門的な話になりますが前方部は剣先のようにとがらせた珍しい剣菱型をしており中央のヤマト王権との密接な関係がうかがえるそうです。残念ながらその点は現状からは確認できません。三段築成の墳丘、前方部の二段目と後円部には葺石があり、周囲には濠が巡っていたことが発掘調査から明らかになっています。

 塚山古墳を主墳として帆立貝型の塚山南及び西古墳それに円墳の6号墳が残っていますが、(いずれ紹介します)これに消滅した小規模の円墳6基が塚山古墳群を形成しています。この塚山古墳群から南東方向に5㎞ほど下ったところに同じ100mほどの墳長を誇る笹塚古墳を主墳とした笹塚古墳群が塚山古墳群より少し前の5C央に築かれていて、この地域が有力豪族の支配下にあったことがわかっています。

なお塚山古墳ほどではありませんが選定された植栽が墳丘に並んでいるのは山形県の海南市にある稲荷森古墳(クリックすれば飛べます)、そして埼玉県行田市の金錯銘鉄剣が発掘された稲荷山古墳(クリックすれば飛べます)。塚山古墳と同規模の前方後円墳です。是非比較してご覧ください。塚山古墳へのアクセスは東武線宇都宮線の西川田駅の東側に国道121号線があり南東方向に1㎞ほど歩きます。総合運動公園入口の信号の左に古墳公園が広がっています。徒歩20分ほどでしょうか(撮影201713日)。
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塚山古墳基本データ

所在地 栃木県宇都宮市西川田町

形状 前方後円墳

規模 墳長 98m、後円部径50m 高さ8m、前方部幅55m 高さ8m

三段築成、後円部及び前方部二段目テラスに葺石

築造時期 5C

出土品 円筒埴輪、土師器、須恵器

史跡指定 県指定

特記事項 動画キャプションにも書いたように前方部の形状はヤマト王権との親密性がうかがわれる剣菱型を採用。ただし現状からはよくわからない。



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   国宝の金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳で有名なさきたま古墳群以来、久しぶりに埼玉県の古墳を紹介します。さきたま古墳群が中期末から後期にかけて築造されたのに対して今回の塩古墳群は古墳時代の4C央から後半に造られています。それも主墳二基は東国に多い前方後方墳で他は小規模な方墳と円墳です。動画でおわかりのように全体として残存する古墳の数々からしても小ぶりな印象ですが、林のなかに佇む墳丘は草刈がなされていて清々しい気分になりました。

 それにしてもこれまで紹介してきた群馬、栃木を中心に東国の前期古墳には前方後方墳が多くみられます。たとえば前橋八幡山古墳(クリックすれば直接飛べます。以下同様)、那須八幡塚古墳駒形大塚古墳上侍塚古墳下侍塚古墳そして今回も二基とも前方後方墳です。これは偶然なのでしょうか。

そうではないようです。考古学者の都出比呂志さんは大凡次のように前方後円墳と前方後方墳の関係について述べています。後円墳が約4000基に対して後方墳は1割以下の300基であり今後もその傾向は変わらない。東日本では後方墳は4C代においてかなりの首長墓に採用されたが畿内では5C前半には採用されなくなった。また東日本でもこの時期に大型の後円墳が後方墳にとってかわる(「古墳の墳丘」、古墳時代の研究7、1998年、雄山閣)。     

たしかに古墳時代全体を通じて最大の前方後円墳は大仙古墳(仁徳天皇陵)で墳長486mであるのに対して、前方後方墳は186m西山古墳(これもクリックすれば飛べます)です。墳長100m以上の前方後円墳(後方墳)は302基ですが、前方後方墳は9基にしかすぎません。その差は歴然としています。こうした数字からはなぜその首長が前方後方墳を採用したのか採用せざるを得なかったはわかりません。しかしヤマト王権の覇権が確立した5C以降に前方後方墳が衰退していく状況からすればそもそもヤマト王権とは距離を置いていた豪族たちの墓ではなかったかなどと想像をめぐらしたくもなります。

今回の塩古墳群は4Cの東国ではごく一般的な墳丘形態であった前方後方墳を採用した首長一族の墳墓であったと思われます。アクセスは熊谷駅から国際十王バス県立循環器・呼吸器病センターあるいは小川町行きで塩八幡神社下車進行方向に進み一つ目を左折。動画1の光景が広がるはずです(撮影2017228日)。
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塩古墳群基本データ

所在地 埼玉県熊谷市塩

形状 前方後方墳、方墳、円墳

規模 1号墳(前方後方墳)墳長35.3m、後方部辺20m 高さ4.2m、前方部幅11.7m 高さ1.2m

2号墳(前方後方墳) 墳長30.1m、後方部辺20.1m、前方部幅11.4m3号墳(方墳)一辺19m

築造時期 4C央から後

出土品 底部穿孔のある壺形土器、有段口縁壺、鉢

史跡指定 埼玉県

特記事項 塩古墳群は7支群からなり今回紹介したのは標高約80mに築かれた第1支群(22基から形成)の一部



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  これまでさきたま古墳群を一基ずつ紹介してきましたが、今回は群の南側(博物館を右手に見た奥)の三基をまとめて見ていただこうと思います(図参照)。さきたま古墳群といえば、観光客はじめ古墳マニアが多数訪れる古墳群として有名です。とりわけ日本最古の文字資料ともいえる金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳には多くの人が墳丘目指して列をなしています。ついで墳丘の後円部が展示館になっている将軍山古墳、巨大な円墳の丸墓山古墳も人気です。丸墓山古墳の動画でおわかりのように墳頂からは古墳群の半分ほどの地域を見渡すことができます。さらに古墳群は南に広がっており、そこから愛宕山、奥の山、鉄砲山の三基の前方後円墳を取り上げます。残念ながら県立さきたま史跡の博物館(国宝の鉄剣を展示)を見ると満足する人々が多いのか、こちらの三基には人がほとんどいません。見応えがある墳丘なのに勿体ないですね。

肝心の築造時期ですが、6C、前半の愛宕山、中頃の奥の山、後半の鉄砲山の順で造られたと考えられています。近畿地方では次第に前方後円墳の築造は下火になった頃、すでにどこかで触れたように、東国では盛んに造られ、その一例が今回の三基になります。とりわけ鉄砲山の墳丘は109mと大型です。すでにアップした120m稲荷山(以下古墳名をクリックすれば当該頁に飛べます)、135m二子山を加えるとさきたま古墳群には5Cの終わりから6Cにかけて三基もの大型墳が造られていることになります。しかも径100mもある円墳 丸墓山もその間に造られているのです。ただただ驚きます。

今回の三基を含め墳丘周囲には二重の濠が巡っていたことがわかっています。二子山の濠は一度目の訪問時には水があり、墳丘が浮かんでいるように見え美しかったのですが、築造時は空堀であったこと、水が墳丘裾を削ってしまうことから本来の水なしの濠として復元されています。また、後期の前方後円墳に見られる前方部の発達はいずれの古墳にもみられます。後円部径よりも前方部幅が広く、高さも前方部のほうが後円部より高くなっています。なお今回の三基については他の古墳とは異なり、あったはずの造出しは復元されていません(愛宕山はなし)。

アクセスは公共交通機関の場合いくつかあります。さきたま古墳公園のHPに詳しいルートが紹介されています。行田駅から市内循環バスが一番便利ですが本数が少なく、二度目は本数が多いJR吹上駅から朝日バスで佐間経由 行田折返し場・総合教育センター・行田工業団地行に乗り産業道路で下車。徒歩15分のルートを使いました(撮影2015714日、201631日)

古墳踏査を重ねて気がついたことは多数の古墳を保存した大型の古墳公園は意外なことに関西よりは関東や九州に多いことです。さきたま古墳群に加え群馬県高崎市の保渡田古墳群(かみつけの里古墳公園)、群馬県前橋市の大室古墳群が特におすすめです。
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愛宕山古墳、奥の山古墳、鉄砲山古墳(さきたま古墳群6)基本データ

所在地 埼玉県行田市

形状 前方後円墳

規模 愛宕山古墳 墳長53m、後円部径30m 高さ3.4m、前方部幅30m 高さ3.3

奥の山古墳 墳長70m、後円部径43m 高さ6.8m 前方部幅47m 高さ7.4m、鉄砲山古墳 墳長109m 後円部径55m 高さ9.0m、前方部幅69m 高さ10.1m

築造時期 愛宕山 6C前、奥の山6C央、鉄砲山6C

出土品 愛宕山古墳 円筒、形象埴輪、奥の山古墳 円筒、形象埴輪、鉄砲山古墳 円筒埴輪、須恵器、土師器

史跡指定 さきたま古墳群として国指定

特記事項 各古墳には盾形の二重周濠が巡っている。



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