幾何学模様のように見える見事な奥壁




 201744日に駆け足で廻った飯田古墳群ですが、今回のおかん塚古墳のアップで当日訪れた古墳はすべてカバーしたことになります。久しぶりにおかん塚古墳の石室をみましたが、奥壁は2個の腰石を置き中央に円形状の石を据えてあり幾何学模様のようにも見えますし、3.2mある玄室の高さからは十分に空間を感じることができるなどいくつも見どころがあることに驚かされました。使用されている巨石表面の滑らかさも印象的です。前方部は完全に削平されてしまった墳長50m(推定)の前方後円墳だったそうですが残存する後円部に加えて前方部にも横穴石室が確認されています。丁度、馬背塚古墳と同じ感じだったのではないでしょうか。

話は変わりますが、この日は高速バスを使った日帰りでしたので時間との闘い。上溝天神塚古墳のすぐ近くにあるのになかなか見つけられず焦りました。動画1の冒頭にあるように古墳石室がひっそりと人目につかず開口していました。

簡易マップにあるように天竜川沿いに展開する飯田古墳群は南北10㎞、東西2.5㎞の範囲に古墳時代中期から後期にかけて造られました。全部で22基の前方後円墳と5基の帆立貝形前方後円墳が造られ18基と4基が比較的良好な形で現存するというのですから大したものです(以下の記述は飯田市HPを参考)。5C後半に突然はじまる古墳の造営の背景には5C中頃に飯田地域にもたらされた馬の文化を通じたヤマト王権との関わりが考えられそうです。たしかに各古墳からは馬具等馬生産に関連する副葬品が出土しています。もっとも中期の全国の主要古墳から馬具がみつかることは多いようです。それはともかく「飯田地域は、内陸交通において東西地域を結ぶ交通の結節点に位置しており、独自に周辺地域との交流があったことを示すとともに、ヤマト王権による東国経営とも関わりがあったことを物語っています」と記しています。

では生産した馬をどうやって運搬したのでしょう。当時陸路、ヤマト王権のある畿内地域に抜けるにはgoogle mapにあるように標高1595mの神坂峠(みさか峠)を通らねばならなかったはずで馬を伴いながらの移動はさぞかし大変だったに違いありません。それとも江戸時代に本格化する天竜川の川下りのような水運を利用したのでしょうか。謎は尽きません。

飯田古墳群のうち、当日訪れた古墳は以下のとおりです。古墳名をクリックすれば飛べますので、今回のおかん塚古墳と比較してご覧ください(撮影2017年4月4日)。

高岡1号墳

姫塚と上溝天神塚古墳

飯沼天神塚

馬背塚


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