推古天皇の父親の墓と宮内庁が治定する前方後円墳
 夏の暑い日差しのなか、天武・持統陵(クリック)から西に7-800mほどのところにある欽明天皇陵まで歩いてみました。田畑のなかにところどころ住宅が点在するのどかな光景が続きます。墳丘は緑一色。途中には鬼の雪隠、鬼の俎(まないた)と呼ばれる石室の一部らしき構造物もあります。さて、宮内庁が欽明天皇陵と治定している梅山古墳は、その功績からするとなんともスケール感のない前方後円墳です。 なにしろ欽明天皇といえば息子、娘は敏達、用明、崇峻、それに推古と次々と大王の地位についている日本古代史では重要な人物の一人ということを考えると、いかにも小規模です。そのため、日本一長い石室のある墳長約310mの前方後円墳、五条野丸山古墳こそが欽明陵とする見方がかなり有力です。決して天皇陵としては大型とはいえないものの、宮内庁管理のため全長140mの前方後円墳の墳丘には近づくことはできません。箸墓古墳のように木々が伐採され見通しがよければ、森のなかの3段築成の墳丘を透かし見ることができるのですが、それもかないません。ただ、動画冒頭からも、この墳丘が前方部の幅よりも、後円部の径がずっと小さい、後期の前方後円墳によくみられる形状をしていることはわかります。実際、前方部の幅は107mあるのに対して、後円部径は72mしかありません。 サムネイルに採用した人面の石像は猿石と呼ばれ、欽明天皇陵至近の田んぼから江戸時代に出土したもので、現在では欽明陵のすぐ後ろにある、孫の吉備姫王(皇極天皇、孝徳天皇の母)の墓に明治時代に移設されたそうです。猿に似ているところからそのようにいわれているそうですが、渡来人の顔をかたどったものとの説もあります(撮影2021年7月17日)。 PNG 欽明天皇陵 所在地マップ 22年6月27日

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