道路拡張で変形した前方後円墳の姿


 5年以上前に訪ねた前方後円墳ですが、すっかりアップするのを忘れていました。見応えのある牛伏古墳群、牛伏4号墳(クリック)、牛伏17号墳(クリック)の後に訪ねたためにいささか拍子抜けしてそのままになってしまったと思われます。墳丘はタイトルにあるように道路(県道)が拡幅されたために、西側が大きく削られ、東側は農耕用に使われているため改変されています。それでも削平され道路と化したところを歩くと長さ80mと結構な大きさの前方後円墳ということはよくわかります。後円部径に対して前方部の幅がはるかに広い特徴も、東側(後円部から歩くと左手)がほぼ残されている一方、西側はかなり失われているので、墳丘が曲っているように見えることから確認できます。google mapの航空写真からもその様子がうかがえます。残念ながら動画には残されていませんが舟塚古墳以外にも円墳、もう一基の前方後円墳(消滅)が存在したようです。造られたのは6C中頃と考えられています。  下遠田(げとおだ)遺 跡 一般県道友部内原線道路改良事業地内埋蔵文化財調査報告(茨城水戸土木事務所 公益財団法人茨城県教育財団 2015)と恐ろしく長いタイトルの報告書を見ると、舟塚古墳が築かれたこの地は、現在のJR常磐線友部駅、内原駅の間の丘陵部に集中していたらしく、中でも中期には墳長80mの二所神社古墳(残っているようなので訪ねなければ)、後期には今回の舟塚古墳が築かれ、さらに中期から後期にかけて連続して小型の前方後円墳7基(うち1基は帆立貝型)、円墳9基からなる牛伏古墳群が築かれていることから、有力地方豪族の支配する地域だったことがわかります。ただ、大きく改変されてしまった現在の舟塚古墳から古墳時代に思いをはせるには、かなり想像力を逞しくしなければなりません。  この報告書は直接舟塚古墳についての調査結果ではありませんが、道路整備に伴い消滅する下遠田遺跡から確認された古墳時代後期の集落、室町時代の館の詳細な記録(収集した土師器、須恵器、青磁、玉など詳細な計測、記録)が行われていることに驚かされました。  ところで、茨城県には小美玉市にも舟塚古墳があります。お間違えのないように(撮影2016年4月20日)。 PNG 舟塚古墳(水戸市)所在地