崩落した天井石を抜けると長大な石室


 JR中央東線の石和温泉駅の南を流れる笛吹川(大きく南に蛇行し金川となる)からさらに2㎞ほどくだったところに今回の姥塚古墳はあります。目の前には中央自動車が走っています。しだれ桜が美しい南照院におじゃますると、いったい古墳はどこにと探してしまいました。ありました。本堂の真裏です。径40m、高さ10mとのことですが、雑木の伐採の跡が痛々しく、ところどころに仏さんが並ぶなど後世に手が入っていることがわかります。でも天井石が斜めに崩れ落ちている隙間から入室するとその大きさに改めて驚かされました。その印象は後回しにして、姥塚古墳のこの地域での位置づけについて触れておきましょう。
 甲府盆地には古墳時代前期に墳長169mと全国でも有数の大型の前方後円墳、甲斐銚子塚古墳(クリック)が築かれますが、その後は目立った大きな古墳はみられなくなります。ところが、6Cの古墳後期になると、既に紹介しましたが石室長16.75mの径45mの円墳、加牟那(かむな)塚古墳(クリック)、同じく石室長14.2m、21m×31mの墳丘を持つ万寿森古墳(クリック)と超大型の石室をもつ大型古墳が築かれます。そして姥塚古墳。石室長は現在の長さ17.54m(羨道はもっと長かったのではといわれている)、径40mの円墳です。これら3基以外にもいくつも決して小規模とはいえない石室をもつ古墳が数多く築かれています。なぜ、大型の石室をもつ円墳が立て続けに造られたのか興味はつきません。  
 事前に開口部には天井石が崩落しているとは聞いていたものの、その大きさにびっくりです。羨道にはこの大きさの板石が4枚架けられていたことがわかっています。中型の丸みを帯びた石材が積まれた側壁が約8mの羨道、玄室前部に続きます。床はきれいすぎて後世のものということがすぐにわかりました。先に進むと、おやおや玄室の後部は格子戸に遮られて立入禁止です。聖観音像がまつられているために肝心の奥壁が見えずまことに残念。それでも格子の隙間から、カメラを突っ込み玄室の後部の様子をとらえてみました。ほとんど持ち送りのない高さ4.2mの長方形、箱型の玄室です。ただ天井はそれほど高い印象を受けませんでした。玄門の袖石は小さく羨道と玄室がつながっているようにも見えます

(撮影2021年3月31日)。 PNG 姥塚古墳 石室 図 21年11月1日
PNG 蛇塚古墳 21年10月31日作成
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