石室だけでなく基壇状の土留めをお見逃しなく!
福山市の新市町にはあまり知られていないものの素晴らしい石室のある古墳があります。今回の大佐山白塚古墳もその一つです。同じ広島県三原市の
梅木平古墳(クリック)、
御年代古墳(クリック)、
貞丸1号墳(クリック)も見応えがありましたが、平野部に築かれたそれら3基とは違い大佐山白塚古墳は、神谷川が流れる山裾を見下ろす標高188mの大佐山の山頂近くに築かれています。中腹までタクシーで行き、そのあとは動画冒頭にあるように古墳まで歩かねばなりません。見晴らしがよく、ここになぜ大佐山古墳群が築かれたかが手に取るようにわかります(今回のは通常 大佐山白塚古墳とよばれている1号墳で、それ以外にも数基残存)。公園として整備されているので藪を掻き分けてという必要もありません。
ようやく着いた白塚古墳ですが、市のHPやその他の説明で一辺12mの方墳、あるいは円墳となっています。動画を見返してみてどう考えてももう少し大きいように思われます。とりわけ、引いて1号墳をみると、基壇状の明らかに人工的な土台(土留め)に、方墳ないし円墳が載っているように見えます。この点を市の文化財課に聞いたところ、同様の見方があり、その場合、はるかに大きな墳丘ということになるとの指摘でした。ただ、発掘調査が行われておらず、確定的なことはいえないそうです。石室の出来具合、そのスケールの大きさ、2号墳以下との比較から、上円下方墳的な感じもします。
7C前半から後半の築造と推定される肝心の石室。説明も不要かと思いますが、同じ福山市の
大坊古墳(クリック)と同様、方形上の角(かど)ばった開口部が目に入ります。高さが2m以上あるので立ったまま入室が可能です。幅も1.8mあります。長さ4mの羨道の最初の部分は天井、側壁が抜けていますが、そのあとは完存。羨道の天井石の大きなこと。びっくりです。そして、玄室。羨道との間には袖かなと思ったのですが、柱状の細い石が立てられています。上をみると鴨居上の石が渡っています。羨道幅と玄室幅は同じになります。無袖タイプの石室の途中に、羨道と玄室の境を示す柱と置いたようにもみえます。終末期になるほど、こうしたタイプが増えてくるそうです。玄室は長さ3.7mで奥壁は1枚の板石、天井があまり高くないので迫力は今一つですが、持ち送りのない畿内型といわれる長方形の箱型です。それにしても、表面を平らにした大型、中型の花崗岩(地元で採れる)を組み合わせた石室の見事さにはみとれました。完成度という意味では大坊古墳のほうが上ですが、周囲の様子、墳丘の残像状況という古墳の現況はこちらのほうが見応えがあります。古墳めぐりで福山市を訪れる方には、是非、見学をお勧めします。なお、草茫々では墳丘や基壇もよくわかりません。秋から冬をお勧めします。アクセスはJR福塩線新市駅です(撮影2020年3月9日)。