珍しく西を向いて開口する縦長の石室 東広畑古墳


  年の瀬も近いというのに名残の紅葉が迎えてくれた神積寺。それにしても大型の石室の残る妙徳山古墳(クリック)に感動です。帰りのバスを気にしながら、地図を片手に予定の東新田古墳と東広畑古墳に向かいました。それほど遠くはないはずなのにと思いながら気は焦ります。ほどなく播但道路をくぐり抜けると田畑が広がりました。墳丘は遠目から確認できるはずと思いながら四囲を見回すと説明板が目に入りました。ラッキーと思いながら近寄ると西光寺野疎水という明治遺産でがっくり。ただ、すぐ近くにもう一つ説明板があり、こちらが探していた東新田古墳でした。 気が付かないわけです。動画後半で紹介しているように、封土は完全に流失し、石室下部だけが残っている状態です。地元ではつぶれ塚と呼ばれてきた径16mに復元される墳丘(円墳)からは銀象嵌が施された太刀2振りと馬具2セットという豪華な副葬品が確認されているそうです。 この東新田と同規模の東広畑古墳が今回の動画のメインです。東新田古墳からは復元された墳丘が50mほど先に見えます。 期待をもって北側から廻りこむと、あれ不思議。すぐに開口部が見えてきました。それもそのはず、多くの横穴石室が南を向いて開口しているのに、これは西向きなのです。市のHPでは、おそらく被葬者が西にある西広畑遺跡に住んでいた人だったからと説明しています。この仮説が当たっているとすれば、全国の古墳の石室の開口方向はバラエティーに富んでいてもよさそうですが・・・。それはともかく、開口部の石積みがコンクリートで補強されているのは残念ですが、柵越しに見る石室は、超縦長の無袖式の玄室で非常にすっきりしています。長さ10.5m、幅は1.5mしかなく、羨道と玄室の境がわからないから細長くみえるのかもしれません。持ち送りが見られる高さは2.5mだそうです。そして組合せ式の石棺の一部も残されています。そしてこの古墳の特徴も豊富な副葬品です。銀象嵌を施した太刀、馬具、耳環、銀線が巻かれた刀子、須恵器等が確認されています。夕暮れに映える東広畑古墳の墳丘を見ながら福崎町を後にしました(撮影2020年12月8日)。

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