小さな石室にこれほど豪華な副葬品・・・


 南九州の東側に集中して造られた地下式横穴墓を見なければと、発掘調査後に石室の現物を移築して覆屋で整備保存している島内139号墳に行ってきました。宮崎市内から現地えびの市への移動が、想像を超えて大変でしたが、その話は後回し。肝心の今回の139号を説明するのはなかなかに難しく、どこまでわかりやすくできるか不安です。  一般的に地下式横穴墓といわれるものは地下に1mほど竪穴を掘って、そこから横に玄室を掘るというものです。私の理解では墳丘はなく、したがって鹿児島県大崎町で聞いた話では、現在でも土地整備中に空洞がみつかるということがあるというものでした。今回の島内地下式横穴墓群を説明したえびの市のHPにも「墳丘を造らず地下の「玄室」に遺体を葬る九州南部特有の墓です」とあります。ところがこの動画の後半で紹介している139号に隣接する真幸村(まさきそん)古墳1号墳は径24m、高さ2.5mの円墳で周濠には地下式横穴墓が確認されている(県HP)そうです。歴史資料館の方の話では、近年の研究では墳丘は高くはないもののあったのではないかと考えられ、地元の古老によれば、開墾される前は塚があちらこちらに見えたという記録もあるそうです。139号は駐車場整備の過程で偶然発見されたそうですが、石室のある地表面一体は墳丘が存在したと考えられる状況だそうです。つまり古墳時代から現代に至る過程で、さほど高くない墳丘は削平されてしまったということです。真幸村古墳も残りの11基は既に消滅しています。  肝心の139号墳に戻りますが、甲冑等武具類等豊富な出土品からもわかるように地下式横穴墓といわれるものよりも上位の石室構造です。横穴式石室系板石積み石棺墓と名付けられていますが、立坑を堀り、そこから短い羨道を横に掘り、大きな板石を用いて玄室を設けるというものです(イメージ図参照)。埋め戻されたすぐ横に、石棺墓自身が覆屋に囲まれて移設されています。 高さが玄室で94㎝しかなく、男女2体を豪華な副葬品の数々とともに葬っているのですから、かなり窮屈な印象です。これら出土品は周辺一帯に広がる地下式横穴簿からのものを含め、えびの市の歴史民俗資料館で見ることができます。その質、量ともに半端ではありません。象嵌による装飾を施した鍛冶具も見つかっています。当然、なぜ、南九州の、えびの高原に古墳時代の一時期(5C末から6C後半)、こうした墳墓が築かれたかが疑問として浮かびます。在地首長ながら、ヤマト王権と強い関係を持ち、各地で前方後円墳を築くことを許されたクラスの人物ということになりますが、被葬者の武人的性格からするとヤマト王権の軍事部門を担当していたか朝鮮半島との交渉に携わっていたのではないかと考えられているようです。  宮崎市からのアクセスは難航しました。熊本行の高速バスでえびの高原下車。タクシーでJR 九州吉都線京町温泉駅へ移動。そこからマップにある現地まで徒歩30分でした(撮影2020年11月18日)。 PNG 島内139号平面図 21年9月6日作成
PNG島内139号模式図 21年9月6日作成
PNG島内139号ルート
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