完成度の高い岩橋(いわせ)型石室に思わずため息!
和歌山市の国の特別史跡の岩橋千塚古墳群から南へ5㎞ほど下ったところに今回の室山1号墳(7基からなる室山古墳群)はあります。現在の和歌山県海南市の黒江駅(JR紀勢本線)からすぐ近くの丘陵です。2021年夏の高校野球で優勝した智辯和歌山学園高校のある独立丘陵が北東方向300mにみえます(海南市と和歌山市の境にあり、学園敷地は和歌山市)。ここにも前方後円墳を含め15基の古墳が確認されているそうです(調査後削平)。古墳が集中して築かれているのは、すぐ北に流れている紀の川の存在と無関係ではありません。古代、この辺りは交通の要衝であったのです。
黒江駅前の郵便局を目指し、敷地周りに大型の石材をふんだんに使った家があちらこちらにある住宅街(黒江団地)を抜けると竹藪に覆われた丘の入口に到着(標識あり)。そこで事前に開錠をお願いした海南市の方と待ち合わせをして案内して頂きました。結構な斜度です。落葉と化した竹の葉が滑ります。ほどなく明らかに人工的構造物とわかる高まりが見えてきました。いつものようにドキドキします。
径20mの円墳ですが、お目当てはもちろん石室。重そうな鉄柵がいかめしい。ヘッドランプを装着して、ゆっくりと歩を進めると羨道に閉塞石と思われるなにやら大型の石材が転がり、行く手を遮ります。そして、玄室と羨道の境に設けられた入り口(玄門)は、岩橋千塚古墳の数々の石室ほどには幅狭ではありませんが、玄室に到達して下を見てびっくり。事前に長靴があったほうがいいですよと言われていたとおり、玄室内は水を張った池状態。雨水が溜まったのでしょう。透き通ってはいますが、足を踏み入れると、思ったよりも深く、哀れ防水使用のスニーカーはあっけなく浸水。とはいえ、そんなことを忘れるぐらいに素晴らしい石室でした。実際には横壁が長い長方形だと思われますが、奥壁がすっきりしているので幅広に見えます。その奥壁、岩橋千塚と同様の岩橋型とよばれる緑泥片岩の板石を小口積み(平たい石を積む)にしており、奥壁上部には部厚い石棚を設け、見上げると高さ3mほどの天井に向かって数本の石梁(4本)がつっかえ棒のように踏ん張っています。この 石材で石室を支えているようです。それにしても今から1500年まえ6C中頃に造られたとはとても信じられない精巧な作りです。
片岩の利用と石棚、それに石梁(ない場合もあり)といった特徴をもつ岩橋型石室(岩橋千塚古墳群にみられるため、こう呼ばれている)は、紀の川沿いと奈良の一部等に見られます。このブログでは、岩橋千塚古墳群から、大谷山22号墳(クリック)、岩橋千塚古墳群2(クリック)、それに和歌山県岩出市の和歌山線船戸駅近くの船戸山1号墳(クリック)、船戸山2号墳(クリック)、奈良県下市町の岡峯古墳(クリック)を紹介しています。是非、比較してご覧ください。(撮影2021年2月7日)。