八角墳とはこういう墳丘だったとわかる貴重な古墳
天武・持統天皇陵が代表的ですが7C後半から8C初めの天皇陵に用いられた墳丘の形式に八角形墳(以下八角墳)があります。舒明天皇陵(段の塚古墳)(クリック)、皇極天皇(重祚して斉明天皇)の牽牛子(けんごし)塚、天智天皇の御廟野古墳、文武天皇の中尾山古墳(クリック)はいずれも八角墳とみられています。中には最下段だけ方墳のものもあります・ 他方、八角墳自身はそれ以前からあり、このブログでもいくつか紹介しています。いずれも、首長墓と考えられています。今回の群馬県吉岡町の三津屋古墳(7C後半)もその一つです。山梨県笛吹市の経塚古墳(7C前半)(クリック)、兵庫県宝塚市の中山荘園古墳(7C央)(クリック)、群馬県藤岡市の伊勢塚古墳(6C前半)(クリック)を紹介しています。築造時期をみるとその多くが7C半ばまでに入ります。7C後半からは天皇陵の墳丘にしか八角墳は認められなくなったということなのでしょうか。
三津屋古墳に戻ります。赤城山を北に、榛名山を西に仰ぐ利根川沿いに広がる吉岡町に築かれた八角墳。南下古墳群から迷ったこともあり徒歩で1時間ほどかかりましたが、見事に復元された葺石が貼られた墳丘を見て疲れが吹き飛びました。これまで見た八角墳もなかなかのもので、特に伊勢塚古墳は石室の造られ方の美しさに感動を覚えましたが、八角墳という墳丘の形式というと、たしかに言われてみればというような曖昧な部分がありました。ところが、三津屋古墳は詳細な発掘調査に基づき、八角墳が葺石を含め正確に復元され、設計に用いられたのは唐尺(一尺約30㎝)ということもわかっています(三津屋古墳パンフレット、吉岡町教育委員会)。 北に開口する石室も復元され、発掘調査時に残されていた石材だけを用いて、全壊状態に近い当時の様子をみることができます。ちょうど、奥壁が八角形の中心になるように設計されているそうです。予備知識がないと見学用の扉をあけると奥に広がる茶色の壁を、これが石室なんだと勘違いしてしまうかもしれません。実は動画の終わりのほうで説明しているように、これは墳丘の盛土を固めるにあたって用いられた技法、版築の断面なのです。10㎝から15㎝の厚さで固めている様子がわかりなかなかのものです。残念ながら盗掘にあっていて何も残っていません。群馬総社駅から歩いても30分程度です。県道15号線沿いに看板が出ています。
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